東寺と一揆

東寺と一揆京都の東寺(教王護国寺)の前を通る度に思い出す事がある。
「鳥羽・吉祥院の百姓達が東寺を目指してたびたび攻め入った」中学校の歴史の授業で聞いた「一揆」の話だ。鳥羽・吉祥院はクラスみんなの地元だ。当然クラスに農家の子供がいたものだから
「お前の先祖は東寺目指して一揆したんだな」
「・・そうだな」
農家の子は返事に元気がない。
そんなやり取りを憶えている。余程話が面白かったのか、それ以来僕の頭は「東寺」といえば「一揆」になってしまった。
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ネットで検索して見るといろいろ出てきた。ちょと引用してみる。
「正長の土一揆のあと14年を経て1441年(嘉吉1)にまた京都に大規模な土一揆が起こった。正長のそれとともに代表的なものとされている。(中略)
9月に入るとその勢いはますます大きくなり,鳥羽吉祥院以下中道より東の一揆は東寺にこもってその数2?3,000人。」
(中村吉治『土一揆研究』1974より)
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冒頭の「正長の土一揆」は1428年の事だ。以降の15世紀と言うのは「一揆」が多かったようで「一揆の世紀」と言われている。京都や近江辺りは一揆の多発地帯で、なかでも平安京の入り口に位置する「東寺」は襲撃の標的だったのだ。京のシンボル「五重塔」は4度焼かれている。鳥羽・吉祥院の蜂起した農民は、北の空に目をやった。見えたのは、高くそびえる権力の象徴「五重塔」だったに違いない。

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