東寺と一揆

| | コメント(0) | トラックバック(0)

 京都の東寺(教王護国寺)の前を通る度に思い出す事がある。
「鳥羽・吉祥院の百姓達が東寺を目指してたびたび攻め入った」中学校の歴史の授業で聞いた「一揆」の話だ。鳥羽・吉祥院はクラスみんなの地元だ。当然クラスに農家の子供がいたものだから

 「お前の先祖は東寺目指して一揆したんだな」
 「・・そうだな」
 農家の子は返事に元気がない。

そんなやり取りを憶えている。余程話が面白かったのか、それ以来僕の頭は「東寺」といえば「一揆」になってしまった。

DSC01437.jpg
ネットで検索して見るといろいろ出てきた。ちょと引用してみる。

 「正長の土一揆のあと14年を経て1441年(嘉吉1)にまた京都に大規模な土一揆が起こった。正長のそれとともに代表的なものとされている。(中略)
 9月に入るとその勢いはますます大きくなり,鳥羽吉祥院以下中道より東の一揆は東寺にこもってその数2〜3,000人。」
(中村吉治『土一揆研究』1974より)

DSC01442.jpg
 冒頭の「正長の土一揆」は1428年の事だ。以降の15世紀と言うのは「一揆」が多かったようで「一揆の世紀」と言われている。京都や近江辺りは一揆の多発地帯で、なかでも平安京の入り口に位置する「東寺」は襲撃の標的だったのだ。京のシンボル「五重塔」は4度焼かれている。鳥羽・吉祥院の蜂起した農民は、北の空に目をやった。見えたのは、高くそびえる権力の象徴「五重塔」だったに違いない。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 東寺と一揆

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.chikuwano.net/mt/mt-tb.cgi/37

コメントする

2008年12月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Powered by Movable Type 4.1

About竹輪野