2005年5月アーカイブ

 浜田省吾は息の長いアーティストで、70年代、80年代、90年代、現在と彼が生み出した楽曲は膨大である。そして常に時代に対するメッセージを込めて来たという意味では、無二のロックシンガーだ。はじめて彼のLPを買ったのは、僕が高校生の時だった。磨り減るぐらい聞いていたのを思い出す。


 その浜田省吾の新曲は「I am a father」という題名である。Yahooの特集ページでビデオクリップを観ることができる。単身赴任の父親に会いたくて、はるばる遠出する幼い兄弟と子供の無事をひたすら案ずる父親の姿が描かれていた。父親を演じるのは時任三郎だ。曲は何処にでもいる父親をそれこそストレートに歌っている。曲を聴いて、いい加減な自分も人の親になったのだと今更のように確認する。子供の存在と成長は僕にとっては幸せな事でもあり、少し恐い事でもある。浜田省吾が歌う「I am a father」が胸に響く。

 久世橋から自転車道を南下して、赤池で国道1号線に入る。もちろん自転車に乗ってである。風とホコリのせいで、コンタクトレンズをした眼が痛くてたまらない。もう泣きっぱなしだ。仕方がないので国道沿いのゴルフ5で安物のサングラスを買って着ける。これでなんとか眼が開けられるようになった。


 その後横大路交差点で東に向く。登り坂の途中で高瀬川に出た。高瀬川にかかる三栖橋から酒蔵や京阪電車を眺めながら一休みする。この先で幾つかの水路が宇治川に合流している。京都伏見は川と町が融合した所だ。自動車や鉄道が無かった時代は物流手段の主役は船だったから、ここが都への物資が集まるターミナルだったのも頷ける。
fusimiku_misu.JPG

 伏見の商店街を抜けると北へ向いた。国道に出ても味気ないのでゴチャゴチャした旧道を行く。それでも棒鼻という所で国道24号線に出てきた。棒鼻とは印象的な地名だ。何なんだろうか、ピノキオの鼻の事だろうか。訳の判らない事を考えながらペダルを踏んでいると、雨が降ってきた。あいたた、カッパを持っていない。百円ショップの駐車場で止むのを待つ事にした。


 小降りになったところで再び動き出した。龍谷大学の前を通って伏見稲荷に立ち寄る。まだ小雨は降っているが陽が差して来た。俗に言う「キツネの嫁入り」である。その嫁入りしたキツネが伏見稲荷に居た。きっとコイツだ。
fushimiinari01.JPG

 その後、鴨川七条あたりを経て京都駅前に辿り着く。京都タワーの真下にあるスターバックスでアイスコーヒーを飲む。半日かけて南区、伏見区、下京区あたりを自転車で流した。走った距離は40kmぐらいか。時計を見ると午後5時を過ぎている。腹減った。帰ろう。

 京都市伏見区の大手筋通り辺りをウロついた。高瀬川沿いの松本酒造の酒蔵を眺めようと土手に来てみると、草刈の真っ最中だった。草刈機の音が喧しいので見物もそこそこに、大手筋商店街に向かって歩く。途中、「月桂冠」や「富翁」といった酒造メーカーのロゴが目に入る。近頃は焼酎ブームの煽りで酒造メーカーはしんどいなんて話が聞こえてるが、どうなんだろうか。
otesuzi_syotengai.JPG
 大手筋商店街は平日にかかわらず、人通りが多い。ここは京阪電車の伏見桃山駅が隣接しているから「駅前の商店街」でもあるわけだ。銀行や宝石店、家電量販店なんかもあって、どちらかと言うと小奇麗な商店が多い。頭上の立派なアーケードが印象的だった。

 鳥羽・吉祥院辺りは至る所に田畑がある。作物の代表格として九条ネギなんかは有名だ。もちろんネギ以外にも野菜はいろいろ作っているようで、聞くところによると、鳥羽・吉祥院は農地としてはよく肥えた土地なんだそうだ。実は僕の仕事場のすぐ裏もキャベツ畑になっている。春先に小さな苗を植えたかと思ったら、グングン大きくなって、今では大きな緑の葉を広げている。その昔、僕にも無邪気な時代があって、キャベツ畑でモンシロチョウを捕まえていたのを思い出す。因みにモンシロチョウの英語名はキャベツ・バタフライである。
kyabetu01.JPG
 収穫はまだチョット先の事だろうが、昨年夏の収穫時には、汚れて商品にならないキャベツを農家のオジサンは分けてくれた。今年ももし貰えたら、「お好み焼き」が良いんじゃないかと妄想している。オフコース、九条ネギは外せないぞ。

 篠山市の中心部を抜けて野路菊が咲く県道を西に進む。その後県道を外れて、舞鶴若狭自動車道に沿うように山道を登る。暫く行くとのどかな山間に湖が現れる。佐中ダムだ。実は今回の遠出の主な目的はここでヘラブナを釣る事であった。
sanakadamu02.JPG
 佐中ダムは小さなダムである。下流の田畑に水を供給するのが目的の言わば溜池だ。上流部には桟橋があるので釣り易くなっている。晴天の五月だ、平日とは言え7、8人の釣り客がいた。僕も釣り料を払って桟橋に入座した。ヘラブナ釣りは底釣りと宙釣りに大別できるが、深いので宙釣りで始める。釣れてくれるだろうか・・。
herabuna.JPG
 餌を打つこと7、8投目のこと、浮きが消し込んだ。竿が弓形にしなる、手ごたえは良い。30cmぐらいの綺麗なヘラブナが釣れて来た。丹波のヘラブナを釣るという目的は達成できた。その後約3時間でなんとか10枚程釣って竿をしまった。ヘボ釣り師にも寛容な丹波のヘラブナに感謝しつつ帰路に着いた。
sanakadamu_kinenhi.JPG

 デカンショ街道は走りやすい道だ。デカンショ街道とは国道372号線の通称である。京都府と兵庫県の山間部を走るこの道は阪神淡路大震災の直後には、救援物資を運ぶ為の言わば生命線にもなった道だ。その日、僕は田植えが済んだばかりのデカンショの好道を独り西に走った。道は空いていて、山は新緑、空は青い。美味い空気はタダだ。
dekansyo_road01.JPG

 京都から車で約1時間半、辿り着いたのは丹波の城下町、篠山市だ。旧街道の京都への入り口であった町ををチョット歩いてみた。町の所々に「のじぎく国体」という文字が見えた。どうやら来年の国体は兵庫県で行われるらしく、「のじぎく」とは野路菊で兵庫の県花だ。篠山藩主「青山」の名を取った青山通り商店街は文字通り町のメインストリートである。失礼ではあるが、商店街の規模と充実ぶりには驚いてしまった。丹波の旨い食材は何でも揃いそうだ。
sasayama_syouka01.JPG

 青山通り商店街の外れに、河原町妻入り商家群がある。この日は月曜日であったのだが、商家群には人影が少なく、閉まっている店が多かった。たまに通る車や自転車を除けば自分しかいない、何だか映画のセットの中を歩いているみたいだった。その分人目を気にせず、写真が撮れた。
sasayama_shouka04.JPG

 「妻入り」に代表される商家の多くは間口は5、6mだが、奥行きは40m以上あるのだそうだ。ずらりと並ぶ古い商家は当時の繁栄を思わせる。何だかガイドブックみたいな事を言っているが、道端に真っ白な野路菊が咲く篠山の町は本当に美しかった。しかし、まあ何だノスタルジー漂う丹波の城下町で、中年男一人と言うのは決して絵に成らない。

 朝起きてテレビを点けると、ニュース番組では兵庫の少女監禁事件をやっていた。番組は結構な時間を割いて、容疑者の育った環境や少女を監禁するまでの手口なんかを報じていた。情報は既に報道されていた物ばかりで、まあ聞きたくも無い話をおさらいして聞かされた。


 「保護観察制度」の甘さに加えて、またまたヤリダマに上がっているのがインターネットやアダルトゲームだ。原因はそれだと言われれば、それはそうだろうし否定はしない。しかし、この手の痴輩がキノコの如く増殖する原因をネットとゲームだけに押し付けるのは短絡的過ぎる様にも思える。
 
 24歳の小林容疑者に係る言葉はこんな感じだ。「資産家の息子」「あまやかされて育った」「高校中退」「マザコン」「執行猶予」「保護観察」「ハーレム」「SM」「調教」「犬の首輪」何ともあられもない語句のオンパレードだ。聞いていて気分が悪くなってきた。いくらニュースとは言え、思春期の子供がいる親なら見せたくはないだろう。 

 
 同じような事件で有罪になり執行猶予中にも拘わらず、40万円もの仕送りをもらっていたという。親は何を考えているのだろうか。何ででもいいが、働くわけでもなく、学校へ行く訳でもなく、こんな爛れた犯罪行為を支える資金を出していたのが親であるなら親も同罪だ。僕はそう思う。

 
 今、日本社会には50万人の「働かない若者」いわゆるニートがいると言われいる。ニートであろうが、プータローであろうが、人間生きていれば腹も減るし、水も飲む。誰かがそれを養っているのだ。甘くて緩くて何でもありで、キノコが育つには絶好の環境だろう。

asahi.com: アダルトゲーム千点押収 少女監禁事件の小林容疑者宅?-?社会

 葛野大路通りを北へ向いて歩いた。九条通りにぶつかる200mぐらい手前の路地を右に曲がるとそこは吉祥院商店街の西の端である。看板に「なんでもぞろう」と書いた荒物屋があって、その向かいにはゾウのサトちゃんが佇む薬局がある。こんな調子でお店が続いているのかと言えばそうではなくて、民家の中にお店がポツリポツリとあるといった風だ。それでも頭上には商店街のシンボルとでも言うべき多色の三角連旗が掛けられていた。
kissyouin_aramonoya.JPG

 私が小学生だった70年代頃はこの商店街も相当賑やかだったはずで、クラスには八百屋やお菓子屋の子供がいたのを憶えている。八百屋のみっちゃんはよく学校に遅刻してきた。体の大きい男の子だったけれど動作が鈍くて、いつも誰かに泣かされていた。ある日の学校帰り八百屋の前を通るとみっちゃんはお店を手伝っていた。遠足の前日になると、商店街のお菓子屋にみんなはおやつを買いに行った。名前は憶えていないが、クラスにそのお菓子屋の娘がいた。家がお菓子屋だという事でみんなから羨ましがられていた。でも家業を鼻にかけているようなところがあって何か嫌味だった。
kissyouin_syoutengai01.JPG

 吉祥院商店街を東に暫く行くと酒屋があるT字路に出くわす。そのすぐ南には吉祥院小学校がある。僕の母校だ。閑散とした商店街にあって、この付近は比較的お店が集まっている。魚屋、漬物屋、クリーニング屋などが商売をしている。しかし、決して繁盛はしていないだろうし、お店の人は高齢だ。もう少し東に行くと僕の祖父が入院していた吉祥院病院があって、西高瀬川を跨いだ商店街は西大路通りに出て終わる。通りの向こうには大型小売店舗のジャスコ洛南がそびえている。

 ボーリングやらゴルフやら宴会やら、遺族の悲しみや怒りを他所にJRのお気楽な体質が次々に明るみになっている。事故原因のおおよそが明らかになりつつある今、マスコミの関心は専らJR叩きか。JR社員の行動は何でも批判しようとするマスコミの姿勢は疑問に思うが、事故の重大さを考えれば、亡くなった命を思えば、仕方ないだろう。またまた無責任ではあるが、雑感を少し書く。 
 

 遺族の罵倒を受け、マスコミの攻撃の前に頭を下げ続ける幹部、その一方でレクレーションや宴会に興じる社員たちがいる。これだけを見ればJR西日本と言う会社はまるで統率が効いていない集団のようだ。記者会見の場でのマスコミの追及に対してJR幹部達は「情けない」「申し訳ない」を繰り返していたが、そこからは自分達の組織に対して何か「あきらめ」の様なモノが見える。憔悴した幹部の顔からはこんな声が聞こえてきそうだ。「遺族のみなさん、世間のみなさん、ゴメンナサイ。実のところ我々はどうしようもない集団なんです・・」非難の矢面に立つ幹部の姿はちょっと哀れに思えた。

 
 バブル前夜の1987年、世界一の赤字たれ流し企業であった国鉄が分割民営化した際、JR東日本、JR東海などと伴に発足したのがJR西日本だ。新しく発足と言っても普通の民間企業とは訳が違う。新規の参入はありえない上に日本中に敷かれた鉄道網という圧倒的なインフラを持つ企業だ。JR各社はすぐに大学生の就職先人気ランキングの上位に名を連ねた。だが、民営化したとは言えヌルイ体質がそう簡単に改まるはずもなく、長らく「親方日の丸」体質と揶揄されて来たのも事実だ。

 
 JR社員達の醜態が報じられるのとは対称的に、事故の直後に工場の生産ラインを止め、人命救助にあたった日本スピンドル製造の社員達の働きが賞賛されている。統率の効いた素早い対応は見事だ。JRの社員達は「爪の垢でも煎じて飲む」しかないだろう。


 JR西日本は社員数3万2千人の超の付く大企業だ。確かに、これほどの巨大組織の管理統率は簡単ではないだろう。しかし、多くの人の生命と財産を運ぶのが鉄道事業である以上、いざと言う時に統率ができなければダメだ。事故が起きれば多くの死傷者が出るのだ。昨夜見たニュースの解説員が「巨大組織の分業化の弊害」なんかに言及していたが、どうも歯切れが悪い。増してや犠牲者や遺族に対しては何の説得力も無い話だ。死者100人を超える大惨事を前にして「対岸の火事」を決め込む体質こそが「真の事故原因」だと言われれば、僕は頷いてしまう。

asahi.com: 延べ185人、事故発生後にゴルフや旅行 JR西日本?-?尼崎・列車脱線事故
asahi.com: 宴会やゴルフ参加のJR西日本社員、中止進言は8人?-?尼崎・列車脱線事故

 黄金週間であろうが何連休であろうが、僕には仕事があるから子供達を遠くへ連れて行ってやる事はできない。遊びたい盛りの子供を持つ親としては近所ぐらいは何とかと、連れて来た所は梅小路公園である。広大な旧国鉄跡地に蒸気機関車館や芝生公園がある。

umekoji02.JPG

 文字通り五月晴れである。芝生公園はボール遊びのメッカだ。小さな子供を連れたお父さんやお母さんが目立つ。特設ステージが設けられていて何かやっていた。何なのかは良く見てないので判らない。花や緑の鉢植えも売っていたようだ。公園の脇の建物には「JR」の文字が見える。これは脱線事故を巡って、その体質が批判の的になっているJR西日本の社員寮だった。

C62kiansya01.JPG

 汽笛が聞こえた。黒煙が上がっている方へ行ってみると、子供達を乗せてた機関車が走っていた。鼻から黒煙を吸いながらカメラのシャッターを切る。子供のためとか言いながら、自分が楽しんでいた。

 連休で子供達が家にいるものだから、外で遊ばせようと河川敷の公園にやって来た。場所は桂川と名神高速が交差した所だ。駐車場に来てみるとほぼ満車だった。でもなんだか様子が変だ。停まっているのはアメ車ばかりだ。それも古いタイプのモノばかり。帽子にサングラスといった姿の若者がいっぱいいる。ホットドックを売る車まである。一帯はアメ車の愛好家に占領されていたようだ。土手の上から名神高速を見ると・・ご覧の通りの渋滞だった。
meisin_highway.JPG

 憲法記念日のこの日、僕はひとつ歳を取った。メデタイなんて思わないけど、子供達が「おめでとう」と言ってくれた事が何より嬉しい。正直言うと自分では若いつもりでいるのに年齢だけが一人歩きして行く。姿形はすっかりオッサンだけど、精神年齢はいまだ28歳である。

 四月下旬の夕暮れ、自転車で川沿いを走った。鴨川でもない、桂川でもない。下町の吉祥院・鳥羽を縦断して流れる西高瀬川だ。
nishitakasegawa01.JPG

 西高瀬川は幕末の頃、主に木材や物資の運搬のために掘削された運河だ。源流は桂川で嵐山天竜寺付近から発している。市内の鴨川と桂川に挟まれた地域で幾度かの曲折を経た流れは、南区辺りでほぼ南へ向いて流れた後、伏見区で鴨川と合流する。果ては淀川、大阪湾という事になる。
nishitakasegawa03.JPG

 小学生の頃、西高瀬川を良く眺めていた記憶がある。毎日、色が変わるのだ。昨日が赤色なら、今日は黄色といった具合だ。地場産業である京友禅が元気だった頃、あちこちの染工場から流れ出る染料は西高瀬川を日替わりで染めていた。環境保全なんてありゃしない、善くも悪くも大らかな時代だった。

 その昔、わざわざ人が掘った運河である。長い間人の暮らしと産業を担ってきたのだ。でも今では水量少なく、コンクリートの川底をやっと流れている。もうその役目を終えたという事か。

2008年7月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1

このアーカイブについて

このページには、2005年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2005年4月です。

次のアーカイブは2005年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

このアーカイブについて

このページには、2005年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2005年4月です。

次のアーカイブは2005年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。