2006年2月アーカイブ

 2月も残り少なくなったある日、嵐山にやって来た。渡月橋の北詰から旅館や料亭が並ぶ路地を行く。駆るのは、待ち焦がれた季節がもうそこまで来ている事を鼻の穴の粘膜からも感じられるという例のウフフだ。暫く行くと寺の敷地に出た。天龍寺である。この辺りの敷地の相当部分は天龍寺の境内である。適当にウロついても大概は天龍寺に行き当たる。
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 人けも疎らな境内に赤い花が咲いていた。これは椿なのか山茶花なのか。どうも判らない。椿は花が首ごと落ちることから、武家からは忌み嫌われたという。椿ならば首から落ちているハズだが、木の根元を見ると結構花びらが散っている。つまりこの花は椿ではなく山茶花ということか。それにしても寒さにじっと耐えて凛と咲いている姿は芯の強さを連想させる。山茶花の花言葉は「困難に打ち勝つ、ひたむきさ」という事だが、異国の大舞台でプレッシャーに打ち勝ったこの人も芯は相当に強そうだ。感動した。

 PENTAXの*istDSというデジタル一眼を使い始めて一年以上が経った。幾ら撮ってもフィルム代も現像代も掛からないのを良い事に、日常の南や缶やを撮り倒して来た。下手な鉄砲も数打ちゃ・・である。おかげでノートパソコンの腹はパンパン。ゲップが聞こえて来そうだ。トラブルが起こる前に撮り貯めたモノを何処かへ避難させようと思っている。外付けHDあたりが現実的か。


 今のデジタル一眼は馬鹿みたいに優秀だから、何も考えずに被写体に向いてシャッターを押せば綺麗な絵が撮れる。脳天気な全自動撮影はそれはそれで便利だけど、やっぱり味気ない。絞りやら構図やらを気にしながらゴソゴソやるのが楽しい。ピンボケだろうが、露出オーバーだろうが、気にする事はない。やり直しと反復こそがデジタルの真骨頂だ。段々と意図した絵が撮れる確率が高くなってくると、俄然面白くなってくる。いつもカメラを携帯して出先で被写体を探すようになれば、立派なカメラ中毒の出来上がりだ。
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 レンズを交換すればまた違う世界が見える。複数のレンズが使えるというのが一眼の醍醐味であるのだが、如何せん金が掛かる。明るく良いレンズは本体の何倍もする。底無しのレンズ沼で迂闊に足を取られると大変な事になる。


 ネットオークションで古いレンズを手に入れた。カールツアイス フレクトゴン35mmF2.4、M42スクリューマウントだ。ネットオークションにはM42マウントの安いレンズが結構出回っている。この古い捻じ込み式レンズを*istDSに使うにはマウントアダプターが必要である。絞りもピントも手動式だ。最近の恋人である。ぬはは・・。

 2月の曇天のある日、どういうわけか寺町通りにやって来た。何か食べないと歩けそうもないので、進々堂寺町店で日替わりランチを食う。朝昼兼用。パンは食べ放題、コーヒーは飲み放題だ。勧められたのでコーヒーは二杯飲んだ。945円也。それから進々堂を出て通りを南へ歩いた。いろんな店がある。ざっと目に入ったモノを挙げると、古本屋、古着屋、花屋、喫茶店、レストラン、ミシン店なんてのもあった。しかし、目立つのは骨董屋の類だ。ショウウィンドウには値段の判らない怪しげな古物が並んでいた。

 
 梶井基次郎の「檸檬」という小説は寺町通りが舞台になっている。高校の時、現代国語の教科書にそれが出てきた。普段は授業なんて真面目に聞いてなかったのだが、変な新任の国語教師の話が面白くて、印象に残ってしまった。同小説は若くして肺結核を患った主人公である著者が寺町通りを「浮浪」して立寄った果物屋で檸檬を買うという話である。文章は押しなべて観念的でどちらかと言うと訳が分からなかったりする。しかし、今読み返してみても相当面白い。ぶっ飛んでいるのだ。有名な短編小説だから解説だの薀蓄だのはネット上にもイッパイある。解釈は百人百様だろうと思う。
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 寺町通り二条の角に八百卯という果物店がある。小説「檸檬」で主人公が檸檬を買った店である。二条通側のショウウィンドウには小説「檸檬」の紹介記事と伴に檸檬が並んでいた。なんだか檸檬専門店のように見える。同小説のくだりで、主人公はふらりと河原町通りの丸善に入り、爆弾に見立てた檸檬を書棚に仕掛けてくるのだが、同小説にはこう書かれている。


 「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。」
「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」


 もちろん基次郎の仕掛けたあの爆弾は爆発することはなかったけれど、丸善は昨年の秋に閉店してしまった。

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 満月は人を狂わす、らしい。欧州あたりでは、月と犯罪、災害、精神疾患との因果関係が結構まじめに研究されているという。確かに月は神秘的だ。中世以前、夜毎姿を変えて行く月は、それはそれは不思議で興味深いモノだったろう。三日月がだんだん満ちてとうとう満月になった夜に何かが起こると思ってしまうのも無理からぬ事のようにも思える。日本でも、満月の夜は妊婦の出産率が高まる、なんて話がマコトしやかに語られている。事の真偽はさておき、人間の精神や活動に月が影響を及ぼすという理論は話としては面白い。


 そんな満月理論の研究者や信者をルナティック(ルナはラテン語の月)と呼んでいる。同語はもともと「月の・月的な」という意味なのだが、それが転じて「奇人・変人・狂人」を指すらしい。ルナティック信者の中には、満月の夜に身体じゅうに毛が生えて裂けた口から犬歯が伸びる、という狼男伝説を信じ込んでいる人が今でもいるという。なんでも人狼症という病名まであるそうだ。
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 バレンタインデイの前日、陽が暮れた京都東寺の上空にも満月が出ていた。月がもたらす神秘の力で変身できるなら素晴らしい。とりあえず満月に向かって吠えてみるか。大丈夫、誰も見ていない。車の運転席から本当に吠えた。アホである。もちろん何も起こらない。吠えなかった大阪の友人にトラックバック。

 水の都、大阪は美しかった。大阪城と高層ビルの間を川が流れる風景を京橋口あたりの陸橋から眺めた。建物も川も緑も全てが洗練された大都会の姿を見ると、自分が凄く田舎者に思えた。大きな声では言えないけれど、生まれて初めて大阪城公園に入った。風は冷たいけれど青空が見えた2月の平日の事である。公園にはジョギングする人やら、散歩する人やら、旅行者やら、日本人やら、外国人やら、天気のせいか、人が大勢いた。
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 ずっと淀川を下って来た。もちろん自転車である。この日は頼れる人が一緒だった。ブログで知り合ったみーこさんだ。片道50kmを文字通り引率してくれた。八幡、枚方、守口と逆風の中を走り淀川大堰に至る。隣接する毛馬こうもんから大川を巡る。幾つもの橋を潜って、開花にはまだ程遠い桜並木の散歩道を漕ぎ進む。見えて来るのは、川と街が融合した大都会の風景だった。

 
 京都へ向かう帰り道は追い風でスピードに乗れた。と思ったら途中、雨が降ったり、強い西風や逆風に苦しめられた。とどめは京都に入ってからのミゾレ混じりの冷たい雨だった。いやはや辛く楽しい一日だった。何とか100km。ヘロヘロ。

 陸上自衛隊の桂駐屯地と阪急電車の線路に挟まれた直線道路は1kmぐらいはあるだろうか。交通量もそう多くないその道路を南進する。駆るのは乗れば肉体の尊厳が取り戻せると巷で噂になっている例のアレだ。暫く行くと丁字路にぶつかる。この春で開業からマル3年になるという洛西口駅の踏み切りを渡り西へ向く。道は徐々に登りになって来る。物集女街道を横切ると坂の斜度は目に見えて増して来るが、腹に脂が乗った僕のようなオヤジでも平気なくらいだから大した事はない。竹林の丘陵地と洛西ニュータウンの住宅街をやり過ごせば、そこが大原野だ。
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 大原野とはつまりが京都の西の果てである。西山連峰の麓に広がるのは田畑ばかりだ。もちろん山腹には寺院も多数あるのだが、シーズンともなればドッと人が押寄せる京都東山辺りに比べればチョット趣が違うかも知れない。こちらの方がより牧歌的だ。その田畑を縫うように農道を進んで、坂道を登って行く。すると分かれ道に出た。野生の感で左に進む。登りはきつくなってきた。葛篭折れを登って行く。汗だくで峠に辿り着いた。峠付近にまた分かれ道があった。案内板がある。どうやら左の急坂は善峰寺に通じているらしい。行ってみたが、舗装路は直ぐに無くなった。ロードバイクでは無理っぽいので引き返した。そこから先は谷に向かって下りだった。灰谷橋と書かれた小さな橋を渡ると小さな集落に出た。道らしい道はここで途切れている様に見えた。見上げる西山は雨霧に煙っていた。

 更新をサボっていたら、いつの間にやら2月になっていた。年明けから、テレビも新聞もライブドア事件で大騒ぎである。事件に関しては、誰かが毎日のように何か語っている。マスコミも政治家もIT時代のヒーローよろしくホリエモンを持ち上げていた頃に比べると、その豹変ぶりが滑稽だし恐ろしくも見える。僕なんかが何か言っても仕方ないのは判っているが、それでも胸の内から股間から湧いて出た雑感を少し書く。


 大体、話が余りに劇的過ぎて僕などはそれをボーっと見ているしか無い。超高級マンションに居を構え、自家用ジェットに乗って、モデルや女優と浮名を流していた勝ち組ヒルズ族のリーダーが急転直下で奈落へ落ちる筋書は、ダイナミックというか、およそ現実離れしてる。フジテレビに一泡吹かせ、先の選挙で時の政権政党の幹事長をして「我が弟です!我が息子です!」と言わしめた人気絶頂ぶりを見たとき、たった数ヶ月後の凋落を誰が予想できただろうか。人の世の浮き沈みはこうも激しいモノなのか。


 逮捕容疑は証券取引法が禁じている「偽計取引」「風説の流布」だった。企業の買収合併に絡んで「株式分割」とか「投資組合」という語句が飛び交ってはいたが、何が良くて何が悪いのか、一体ホリエモンはどんな悪事を働いたのか、解ったような解らないような話だった。ただ検察側のシナリオには続きがあるようで、ここへ来て粉飾決算やらマネーロンダリングやら、そんな話も出てきている。どうやら再逮捕は確実であるらしい。既に部下達が罪を認めているのを見ると、ホリエモンもこれまでか。


 株式交換という手法でM&Aを繰り返してきたライブドア社にとって株価こそが成長の原動力だったようだ。株価にこだわり、あの手この手で高株価を維持しようとしていたようで、球団買収も選挙立候補もすべて「株価吊り上げ」が目的だった、と言うのが今の大方の見方である。球団買収も立候補もそれ自体は失敗に終わったのだが、「株価吊り上げ」という面では成功していた事になる。ライブドアグループの時価総額は一時、1兆円を越えていたらしいが、家宅捜索が報じられた途端にみんな一斉に引いて行った。海の潮が引いて行く様な市場の反応を見ると、今更ながら株価というのは信用の上に成り立っている事を思い知らされる。


 昨年の西武鉄道事件の時もそうだったが、大型経済事件では必ずと言っていいほど人が死ぬ。今回も犠牲者が出た。悲しい事だ。自殺か他殺かで物議になっているようで、それはそれで白黒ハッキリさせてもらいたい。ただ、ライブドアという一企業の没落がヒト一人を死に追いやった事は確かなようだ。仮に自殺だったとして、会社が傾いて、株価が下がると、愛する者に理由も言わずに死ななければならないのか。「勝ち組」と言われる人達は一体何に勝ったと言うのか。株価よりも人の命が安っぽいというなら、それは貧困の窮みだろう。

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