2006年6月アーカイブ

 田植からそう日が経っていない稲はまだ小ぶりだ。大原野に広がる田圃の緑は、梅雨の恵みと夏の陽射しを受けて日に日に勢いを増している。梅雨の晴れ間のある日、善峯寺に続く坂道を愛車で登った。先週、金蔵寺の山を登ったのだが、その隣の山に善峯寺がある。その二つの寺を比べれば、規模も知名度も善峯寺の圧勝で、徳川五代将軍綱吉の生母"桂昌院"が再興したという同寺は、西国20番目の札所になっている。今時は紫陽花が美しい。自転車乗りの立場から坂の印象を語れば、金蔵寺の坂はワイルド、善峯寺のそれは道幅が広いぶん少しは社交的か。ただ、激坂の程度は甲乙つけ難い。両方とも"オヤジ殺し"だ。
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 洛西を見下ろす坂道は寺の山門に近づく程に斜度を増す。赤い橋が架かる駐車場から先は、とんでもない壁坂だ。駐車場で脚を休めた。僕してみれば、殺人的ともいえる坂を必至の思いで登ってきた。心拍はレッドゾーンに達していた。身体中が暑い。水を口から飲んで、頭から被った。高い杉木立の下で暫く休憩。沢から登る冷たい空気が気持ち良い。
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 山を降りて、南へ向いた。大山崎に至る。国道五条本から天王山大橋を渡った。眼下は母なる川、桂川である。渡ればそこに自転車道がある。御幸橋は目の前、自転車道で帰路に着いた。

 W杯サッカーについて少し書く。思えば数年前、アジア初の開催国を巡っての綱引き合戦の末、FIFAが下した決定は、日韓で共同開催せよ、というモノだった。えっ、そんなのありかよ、と思ったが、商売上手なFIFAが考えそうな"落し処"を両国は受け入れた。かくして、世界最大の祭典は、欧州でもなく、南米でもなく、アジアの小さな半島と島国にやって来た。


 開催国である日本と韓国の快進撃が鮮烈だった。日本は悲願の決勝トーナメント進出を果たし、他方、韓国に至っては欧州の列強をなぎ倒し準決勝進出という快挙を成し遂げた。いくら地の利があるとはいえ、韓国があそこまでやるとは思わなかった。野球大国日本もこの時ばかりはサッカーに沸いた。


 2002年の熱狂から4年が経った。時の流れの速さに唖然とするばかりだ。今大会、嬉しいのは、日本と韓国がそろって出場する事である。在日の僕にしてみれば、"育った国"と"ルーツの国"がそろって出るというのは願ったり叶ったりで、それはそれは楽しみにしていた。楽しみは二倍だ。ただ、今回のW杯は前回とは大分勝手が違う。何せ、戦いの場所は欧州サッカーの総本山、ドイツである。日本と韓国にとっては"超"の付くアウェーだといえる。


 オーストラリア戦の当日、僕は朝から落ち着かなくて、それで自転車に乗って気を落ち着かせていた。対戦日程を見れば"初戦が全て"だという事は分かり過ぎた命題だった。先制した日本だったが、後半の最後、目前だった勝利が、勝ち点が、掌をすり抜けた。


 相手の将は2002年に韓国を準決勝に導いたヒディングだった。何の因果だろうか。負けた翌日の新聞はジーコの采配をメッタ切りにした。そしてヒディングはまたまた株を上げた。敗因を分析しするのも大切だろうが、それはもう、そこそこでいい。力が拮抗する相手との消耗戦に必要なのは、やはり強い気持ちだ。


 韓国はトーゴ相手に鮮やかな逆転勝利だった。逆転弾を決めた安貞桓(アン・ジョン・ファン)が脚を振り抜いたのはPエリアのずっと手前だ。シュート数ではオーストラリアの半分以下で負けた日本に足りなかったモノは、もう十分にマスコミが並び立てている。はっきり言ってクロアチアは強敵だ。しかし、日本が最高のパフォーマンスを見せれば勝てる相手だ。こういう試合の土壇場では精神力がモノをいう。高原は、柳沢は、前線は、相手を二、三人引きずってでも、なぎ倒してでも、シュートを打て!決戦まであと4時間、日本の勝利を信じる。

 登りは越畑で終わる。愛宕山の麓に広がる棚田を見れば、それが合図で、ここから先は下り基調が続く。頑張ったご褒美である。天気は梅雨の晴れ間の夏日だった。暑い。それでもここまで、壁のような嵯峨野の六丁峠をよじ登り、愛宕の喉元である神明峠を越えてやって来た。嵯峨の化野念仏寺から九十九折を経るという越畑の夏は、棚田の緑が美しかった。
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 越畑には有名な民家がある。裏千家に仕えたカナダ人、ジョン・マギーが移り住んだ家で、通称マギー邸と呼ばれている。脇に立つ銀杏の巨木が印象的だ。そのマギー邸でペダルを休めた。マギー邸の入り口に佇む自転車は三台である。そう、この日は三人でツーリングだった。僕を引率してくれた二人は、みーこさんジョーさんである。nasubiさんは今回は残念だった。


 越畑で蕎麦を食べた。ざるそば大盛り。それと生ビール。味も風景も人も最高である。話は尽きない。仕事、家庭、子供、サッカー、自転車etc。その後、日吉ダムから府道19号と25号と国道9号を通って帰路に着いた。辛く暑く楽しい75kmだった。越畑の蕎麦屋の情報はこちら

 6月半ばのある日、大原野のとある山を登った。大原野とは京都市西部の丘陵地をいうのだが、小高い山の多くは竹林だ。左京区の大原と間違われそうだが、正反対の場所にある。もうすっかり夏っぽい陽射しの下、駆るのは、夏の峠の苦しみも、後のビールの幸せも、乗らなければ味わえないという、例のナニである。
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 登るに連れて、竹林が雑木林に変わってきた。所々でとんでもない斜度になったりするが、何とか頑張って進む。はっきり言って道は狭いし悪い。垂直に切り立ったにはワイヤーネットが被せられている。雨が多い今時は崖崩れには要注意だ。車が来ないのがせめてもの救いである。峠に近い山腹には金蔵寺という寺がある。その寺の墓地で小休止した。


 金蔵寺の墓地には母が眠っている。病死して13年になる。墓の周りはペンペン草だらけだった。おまけにタンポポも一輪。お正月に来たきりで、彼岸にも参らなかった不届き者である。草を抜いて掃除した。しかし、花も線香も無い。オモニごめんなさい。

 土曜日に行なわれた運動会の振替で、翌々日の月曜日は子供たちの学校は休みだった。それじゃと、家族でドライブに出かけた。行き先は琵琶湖。一週間前、自転車で越えた途中峠をこの日は車で越えた。琵琶湖大橋を渡って湖東を北へ進んだ。やって来たのは近江八幡の水郷。琵琶湖東岸から西の湖に掛けての湿地帯は葦(ヨシ)の群生地で、その葦群を縫って水路が発達している。というわけで、に乗った。
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 葦の壁の間を船は進んだ。青々とした葦が大人の背丈以上に伸びている。かいつむりの親子も姿を見せた。昔は葦瓦や葦簾(よしず)でそれなりに産業になっていたそうだが最近はさっぱりだ、と船頭さんがボヤいていた。爽やかな初夏の風を切って、幾つもを潜って、およそ1時間のクルージング。子供たちも喜んでいた。琵琶湖の大自然を肌で感じられる水郷めぐりはムフフ・・だった。命の洗濯の費用は、大人2100円、子供1050円。

運動会

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 6月最初の土曜日、息子と娘が通う小学校で運動会があった。運動会なら秋だろと思いきや、昨今は今時にやる学校が結構あるらしい。太平洋あたりで、上がったり下がったりする前線の影響で天気予報は微妙だったが、なんとか晴れた。プログラムを握りしめて、カメラを持って、自転車に乗って、小学校の運動場にやって来た。赤組と白組に分かれた児童たちが運動場の一角を陣取っていた。また別の一角にはPTAや学校のテントあった。残りのぐるりは父兄が観戦できる場所だ。
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 改めて感じたのは子供の数の少なさだ。集団から自分の子供を捜すのにそう時間は掛からない。僕が育った高度成長期には各学年に10クラス近くあったから、運動会ともなれば運動場のぐるりは全部子供で埋め尽くされていた。観に来た親も自分の子を捜すのに一苦労だったに違いない。今はあの頃とはだいぶん違う。現場にいる人間の半分は大人だ。そしてプログラムが淡々と進んで行く。とは言え、子供たちはみんな頑張っていた。数は減っても子供の一生懸命さは今も同じだ。

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