2007年10月アーカイブ

 阪急阪神1dayパスを買った。阪急電車と阪神電車が乗り放題である。大人1200円、子供600円也。家族総出で、いざ大阪へ。

 梅田。昼時で腹が減っていた。蟻の巣のような梅地下をスタスタと歩いて向ったのは、阪神百貨店地階のスナックパーク。立ち食いの殿堂である。"カレー讃岐きしめん"をズルズル。美味い!"ドミグラオムライス"もムシャムシャ。旨い!監視委員から食い過ぎを非難された。
 
 ヨドバシカメラに行った。僕はオーディオ売場へ。子供達はゲーム売場。偽風水師は白モノ家電。どうやら、先月の冷蔵庫に続いて、洗濯機がダメらしい。なんちゅう事態だ。今時の洗濯機はタイプがいろいろあって、値段もピンきり。高いモノは良いロードバイクが買えるじゃないの。とりあえず撤収とした。

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 それから阪神電車に乗った。ガタンゴトンと揺られて、降り立ったのは甲子園。甲子園球場は工事中だったが、目的はララポート甲子園という商業施設である。小奇麗なお店がたくさんあった。でも僕には用事がなかった。

 秋はつるべ落とし、ララポートを出る頃には陽はどっぷりと暮れていた。たくさん歩いたので、またお腹が空いていた。

 雨が上がり、青空が広がった土曜日、自転車道を走るイベント「プチ・ブルベ山城100km」に参加した。集合場所は、流れ橋の四季彩館。その日は、嬉しい事に同伴者がいた。hiroさんとその友人のMackyさんである。hiroさんとは1年半ぶりの再会だった。

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 南周り。流れ橋から泉大橋へ。泉橋寺で休憩&写真撮影&トイレ。流れ橋へ戻って昼食。嵐山へ向いて後半のスタート、したところでメール着信が。仕事メールに邪魔されて、あえなくリタイヤ。hiroさん、Mackyさん、ありがとう。65km。

琵琶一

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 陽が蓬莱山の山影に隠れる頃、琵琶湖大橋米プラザに帰り着いた。予想通りだが、後半は本当にヘロヘロだった。自分の走力からすると、南湖の分は欲張り過ぎだったかも知れない。なんとか無事に完走できたのは、同伴者であるビスさんのお陰である。

 朝7時半、大橋米プラザを出発した。先ずは、近江大橋を目指して南進する。反時計周りの選択である。天気はと言うと、それはそれは爽やかな青空で、風も穏やかだった。一日中こんな感じなら良いな、などと甘い事を考えていたが、そうは"イカのキン△マ"なのが琵琶湖である。

 近江大橋を渡って北進。暫らく行くと、ビスさんの知り合いのそんしさん登場。スピードアップする二人を、僕は千切られながら追走した。そんしさんとは琵琶湖大橋でお別れした。

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 風は比較的穏やかだった。長命寺までは。近江八幡あたりから、やはりおいでなすった。彦根から長浜にかけては、横風、アゲンスト風がもの凄い事になってきた。ペダルのオカズは北湖の白波である。

 木之本あたりから脚はどうも怪しい雰囲気だった。右ヒザの裏がヒクヒクしている。痙攣である。おいおいまだ半分あるぞ。休憩を入れてもらって、旧賤ヶ岳トンネルと岩熊トンネルを越えた。

 塩津のコンビニで食った弁当が効いたのが、脚は少し回復した、ように思えた。しかし今津から先は、右ヒザに力が入らなくなってしまった。ポンコツの右脚である。情けない。でも幸い左脚は使えた。片脚があればペダリングは何とかなるものだ。ビスさんの背中を見ながら夕暮れの湖西を走った。辛く楽しい一日だった。185km 23.9km/h

 夏の間はずっと辛子Bianchi号ばかりに乗っていた。だからマドン号はホッタラかしだった。この絶好の季節に、そのマドンに乗るために、チューブを交換して、ディレイラーを調整して、チェーンに注油して、ヘッド周りを締め直した。まあゴソゴソと手は入れたものの、実のところ、ディレイラーなんぞは、これで良いのか、悪いのか、よく判らない。ちゃんと変速できるから、まあいいだろう。

 マドン号は僕の1stバイクである。色はカーボングレーだ。百花繚乱、万華鏡の様な今時のロードバイクのデザインの中では、どちらかと言えば地味だ。だからバーテープとサドルぐらいは少々派手目にと、心がけている。そしてホリゾンタルである。もう直ぐ出回る新マドンはスローピングになってしまったので、TREK最後の水平フレームという事か。そうなのか。

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 秋晴れの昼下がり、ペダルをクルクル回して街道を行くと、腹がグーグー鳴った。何キロも走っていないのに腹だけは減る。マドン号は、ごく自然に、当然の様に、丸亀製麺という店に吸い込まれた。ほとんどゴキブリホイホイである。そして"とろ玉うどん"を注文して、喰った。次の休日は、このマドン号で琵琶湖を周る予定だ。そこそこ気合を入れて、適当に気を抜いて、死なない程度に頑張ろうと思う。

薪割り機

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 夏に美山森林組合で仕入れて来た玉切りは、乾燥が進んで、放射状のひび割れが目立って来ていた。本当は、仕入れて直ぐに割れば良いのだが、暑かったので放置していた。薪は、割って置くことで、さらに乾燥が進む。ぼちぼち気候も良いので、割ることにした。

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 格好良く斧を振り下ろしたいところだが、慌て者の僕が、間違って自分の足でも割ってしまった日にゃ、例の金斗雲にも乗れなくなるので止めといた。代わりに登場したのが、薪割り機である。

 主役は家庭用電源で動く油圧式の薪割り機である。本体のレール部に玉切りを置く。電源ボタンを押して、さらに手動レバーを押し下げると、シリンダーに連結したプレッシャーが動いた。それに押された玉切りが刃に当たって割れた。約一時間で600kgの玉切りが薪になった。できるヤツだ。僕とは違う。下はその様子。

 昔は必ず体育の日だった10月10日の事。大陸側の高気圧がとんでもない青空をくれた。快晴である。命の洗濯をするならこういう日だとばかり、金斗雲に乗ってオンモへ出た。

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 渡月橋を渡って嵯峨野をウロついた。田圃の畦には、彼岸花が咲いていた。好きだった山口百恵が「恋する女は、曼珠沙華、罪つくり」とこの花を歌っていたのは70年代の事である。

 何か食おうとやって来たのは、嵐電の車折神社駅からほど近い蕎麦屋だった。「蕎麦処いしたに」という。昼時とあって、カップル一組と背広男二人が居た。レーパン男は、もちろん蕎麦を注文した。ざる一枚、たちまち食った。能書きを言えるほど、蕎麦通でもないけれど、甘過ぎない麺汁にコシのある蕎麦であっさり食えた。秋晴れ青空ポタ35km。

 大方の人がそうであるように、僕が沢尻エリカを初めて見たのは、映画「パッチギ」である。けな気で初々しい在日朝鮮人少女を演じる姿は可愛らしかった。映画のヒットと伴に、彼女はたちまち人気者になった。「女王様キャラ」が仇になったか、その沢尻エリカが炎上している。"このブログを芸能ねたブログにする"という壮大な野望を胸に、事件に関して無責任な雑感を書く。

 日曜日の情報バラエティ番組あたりでは、問題のシーンが何度も流れた。「特にありません」「別に・・」司会者はうろたえ、会場は凍りついていた。あのシーンを見る限り、世間が怒るのも無理はない。しかも自分の主演映画だというではないか。僕は、沢尻エリカが嫌いじゃなかっただけに、アララ、という感じである。

 後日、彼女は涙ながらに謝罪した。あの"高慢チキさ"は何処へやらである。わがままの末に、自分が窮地に陥って、泣き出す姿を見て、僕は7歳になる自分の娘を思い出した。沢尻エリカは、女王様よろしく大仰な態度の一方で、精神的には稚拙だ。子供なのだ。

 にわかに成功を収めた若いタレントが、いわゆる「天狗」になると言うのは、ありがちな話だ。若いタレントをマネージメントする事務方は、一番気を付けなくていけない事だろう。今回のように大衆の面前で、総スカンを喰らうような醜態は、タレントの即死につながる。芸能界は、"生き馬の目を抜く"世界だ。謝ればまた仕事がもらえるほど、甘くないだろう。そういう意味では、彼女のマネージャーや側近達は大失敗している。事実、既に打切ったCMスポンサーもあるそうだ。無論、沢尻エリカは反省すべきだが、どちらかと言うと、「じゃじゃ馬の暴走」は手綱を引くジョッキーの責任が大きい、と僕は思う。

 ある日突然、冷蔵庫が冷えなくなった。氷が解ける。無論造れない。ドアを開けても冷気を感じない。肉や魚はもちろん、あらゆる食材がダメになりそうだった。

 その松下製の冷蔵庫は、結婚する直前に僕が買ったモノだった。二度の引越しを経て、13年使って来た。ドアの開け閉めは数万回になるだろう。今更考える事だが、冷蔵庫ほど不眠不休の家電は他にない。どの家庭でも365日フル稼動が普通だ。家電量販店に拠ると、冷蔵庫の寿命はおよそ10年だという。だとすれば、良く働いてくれた方かも知れない。

 数日後、我家は新しい冷蔵庫を迎えた。料理自慢をウソぶくインチキ風水師が、ドラフト会議の末に選択したソレは、観音開きのSANYO製だった。これから長きにわたって、家族4人の胃袋を賄ってくれるハズだ。サイズは400リットル。冷蔵庫は色んな意味でビッグである。重さも、価格も。私のささやかな小遣いと計画を吹っ飛ばすには十分だった。

 昨年の冬の事。底冷えの京都、我家を暖めてくれたのは薪ストーブだった。初めての薪焚きで、どうなる事か、と思ったが、薪ストーブは見事な働きだった。せまい事が幸いしてか、文字通り、家を丸ごと暖めてくれた。ほとんど病気の一丁噛みオヤジは、見よう見まねで薪ストーブを導入したわけであるが、薪ストーブを焚く者に必ず課せられた仕事がある。煙突掃除である。

 問題は煙突掃除をいつするかである。冬を越した春先にやってもいいのだが、あえて今時分までホッタラかしにした。それには訳がある。付着して時間が経っていない煤(すす)は多少なりとも粘度がある。ひと夏過ぎて、煤が乾燥した秋なら落とし易いだろうという算段である。(ただ怠けていただけという噂もある)

 薪ストーブに接続された煙突の下部を外して、ブラシを上に向けて入れる。煤を受けるため、筒口にビニール袋を着けた。ビニール袋には穴を開けて柄が通るようにする。ブラシの直径は約15cmで、煙道内部に密着する大きさだ。ブラシの柄の尻にはネジ穴が付いていて、1m刻みで延長できるようになっている。延ばしながらブラシを押上げて行くと、どんどんが落ちて来る。ブラシが6mに延びたところで往路が終了。煙突のトップ部材に当たってそれ以上は上がらない。今度は復路。上げたブラシを引き下げる過程だ。当然また煤が落ちる。煤が乾燥していれば、一往復で事足りる。

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 我家にある薪ストーブはネスターマーティンS33という。重さは約160キロある。鋳鉄の筐体はベルギー製だ。クリーンバン方式という燃焼効率の良さと見た目のエレガントさをあわせ持っている。大きな耐熱ガラス窓越しに見せる炎の美しさは、このストーブの"売り"でもある。スローモーションのようなスピードで炎が揺らめく姿は、幻想的で見ていて飽きない。冬の夜長の肴だった。

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