2007年11月アーカイブ

鯉上げ

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 京都の紅葉は今週と来週あたりが佳境だろうか。週末でなくとも嵐山などは物凄い人出で、渡月橋はたわんで見える。ここ最近は、中国あたりからも人が大勢やって来るので、雑踏から聞こえて来るのは、広東語か、北京語か、判らないが、そんな言葉だ。

 有名寺院では、芋を洗うような、混雑の中での紅葉見物だ。そもそも紅葉にしろ、寺社にしろ、心穏やかな閑静があってナンボじゃないだろうか。決して安くない拝観料を払って、庭をぐるりと周って、トコロテンよろしく人が吐き出されている。ライトアップした寺院では夜まで商売だ。まさに書き入れ時である。いったい京都の価値とは何だろうか、と毎年考えさせられる。

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 狂気の沙汰の雑踏を避けて、嵯峨野の田園地帯にペダルを向けた。広沢池は冬支度の真っ最中だった。三日前に通ったときには、まだ水があった。しかしこの日、目の前は泥の荒野だった。嵯峨野に冬を告げる「鯉上げ」が始まった。上げられた、鯉、鮒、モロコ、川海老などは畔で即売される。とうとう冬だ。

 Gottani(ゴッターニ)という自転車ツーリング倶楽部がある。代表は私で、副代表が「ロードバイク茄子日記」のnasubiさんである。メンバーは全部で二人だ。そのGottaniの活動はと言うと、"何処かを自転車でウロウロして何か美味いモノを食う"というモノだ。

 松尾橋から眺める北山は灰色の雲に覆われて山の稜線が見えなかった。山間部はそうとう時雨れているようだった。山はダメやな、何処行こう、などと話しながら自転車道を北進した。天気は晴れか曇りか判然としない勤労感謝の日の事だった。

 嵐山は朝から人がワンサカいた。渡月橋は人が溢れていて、行く手を塞がれた。竹林の道を人波を掻き分け、辿り着いたのは大覚寺。その門前にひときわ紅いモミジがあった。

 もうすぐ水が抜かれるハズの広沢池からきぬかけの道を経て、西大路通り、北大路通りと、すでに師走の匂いがする市街地を進んだ。そして鴨川に辿り着いた。鴨川の畔で休憩。久々に観る鴨川の木々は紅や黄に色づいていた。

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北大路橋の袂にハセガワという洋食店がある。ハンバーグで有名なその店が昼食の場所である。僕はAランチ、nasubiさんはほうれん草ハンバーグ定食だった。

竹輪「ご飯のおかわりくださ〜い」
茄子「おかわりタダなの」
竹輪「知らない」
茄子「お腹へってたんやね」
竹輪「うん、減ってた」

繰り返すが、ツーリング倶楽部Gottani(ゴッターニ)は今のところ二人である。参加者は常に募集中だ。そうそう、洋食店ハセガワのご飯おかわりは150円だった。

48時間

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ある晩、日付が替わる頃、悪寒に襲われた。寝床に入っても寒気が治まらない。部屋は暖房が効いていて、毛布と蒲団を被っているのに、ブルブル震えていた。

 8時間後、朝起きると、眩暈がした。肩やら、肘やら、身体の関節が痛かった。トイレに入ると下痢をした。そうとうユルイ。熱を計ると37度3分、微熱である。何かに感染したのは確かだ。でもそれがインンフルエンザなのか、はたまた悪性の風邪なのか、判らない。

 13時間後、午後、医者に行く気はなかったので、近所の薬局で風邪薬とビタミン剤を買った。店の薬剤師によると、お粥などの炭水化物を多く摂って、薬飲んで、たくさん寝ろ、との事。仕事をこなしながら、できるだけ安静にした。

 19時間後、夕食は、我家の冬の定番メニュー、ドラゴンボール鍋(鶏ダンゴ鍋)だった。好物でいつもなら馬鹿みたいに食う。しかし、今夜ばかりは余り食欲が湧かない。それでも無理して食ったが、1時間後に下痢をした。その後、林檎を少し食う。薬を飲んで就寝。

 風邪を引いても、まず医者には行かない。時間がもったいない。大病院などは、待つ事2時間、診察2分などと揶揄されるが、その通りだ。だいたい病院の待合室などは立派な感染ルートだ。

 昼も夜も水を飲んだ。何か食っては水を飲み、下痢をしては水を飲んだ。どんどん飲んで、身体の水をぐるりと廻す。そんなイメージだ。回復するという事は、代謝するという事だ。夜中に起きると、びっしょりと汗をかいていた。

 48時間後、微熱と関節の痛みは治まった。しかし、相変らずお腹はユルイ。もう少しだ。お腹の調子と食欲さえ戻れば、もうこっちのモノだ。明日は無理でも、明後日には、自転車ぐらい乗れるだろうと、多寡を括る寒い夜だった。

 朝の大原野は肌寒くて、指切りグローブではチト冷たい。ウールジャージを着てきたけれど、さすがに師走も目前という時期になれば、ウィンドブレーカーを羽織った方が良さそうだ。西山連峰の紅葉は、徐々にではあるが、三日前と比べると確かに進んでいるようだった。

 そのBianchi乗りと僕は、同い年である。今から三年前、何を血迷ったか、僕がロードバイクに乗ったのは、その人のブログ「ロードバイク茄子日記」に影響されたという事も一因だった。その人はnasubiさんである。しばらく自転車から離れていたnasubiさんとは、ほぼ一年ぶりの同伴だった。

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 Bianchiが二台、どちらもNotチェレステである。nasubiさんのソレは鮮やかな緑に赤青白が添えてある。方や辛子色。どちらもチェレステ信仰からすれば異端扱いだろうか。しかしまあ、「乗れば都」「蓼食う虫も好きずき」である。

 丹波街道と西山の裾を走って、大山崎に辿り着いた。駅前に建つ小さなホテルの1階に「cafe tabitabi」がある。窓際の席に陣取って、ランチを食べた。美味い食事だった。しかもヘルシーだ。店内はジャズが流れていた。楽しい再会のサイクリングだった。写真は、大原野のトトロと猫バスと、自己主張際立つオヤジの乗り物。

 紅葉の季節だ。電車か車で輪行でもして、何処か知らない山中を自転車で放浪したいところだが、そうも行かない。仕事の間隙を縫って、ウロウロするのは、あいも変わらず大原野である。

 小塩山の麓にある大原野神社も、乙訓の光明寺も、紅葉は色づきはじめだった。たぶん11月下旬頃は良い感じだろうと思う。それでも人出は多かった。街道沿いのブティックは、いつになく活況で、やら、野菜やら、並べて商いしていた。

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 紅葉前夜の大原野は、さすがに朝晩は冷え込むようになってきた。しかし、北風が吹く西高東低の気圧配置と引き換えに、晴天率は高い。初冬は自転車日和が続く。走るなら今のうちか。写真は紅く染まった大原野のケヤキと紅いサドルの馬丼。

 大原野は、街道の交差点だ。西へ西国街道、北へは丹波街道が延びている。文字通り、京都の西玄関口である。玄関口などと言えば聞こえが良いが、ちょっと昔は大変だったらしい。しばしば輩(やから)が出没したという。都に出入りする者は大金や高級物資を持った人も少なくなかったから、半ば山賊化した土豪たちはソレを狙って、追剥(おいはぎ)を繰り返したという。都の出入りも命懸けだったか。

 山賊の巣窟だった大原野も今は昔だ。70年代以降、開発が進んでどんどん人が移り住んで来た。バブルと呼ばれた80年代の後半、政治家や一部の偉い人達は、この地に地下鉄と通すとブッていた。日本の銀行は世界一になったと嘯き、「一億総中流」なんて呼ばれた時代である。

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 景気が急に失速した90年代、多くの開発が頓挫した。同じ頃、僕は母を亡くした。故人は大原野に眠る。自他共に認めるマザコン中年は、未だその懐を徘徊している。写真は大原野に実った柿と徘徊する辛子Bianchi号。21世紀になった今、大原野に地下鉄は来なかった。べつに来なくてもいい。

 みーこ兄貴が誘ってくれた水曜日はバチグンの天気だった。駆るは、「血糖値高くオヤジ肥ゆる秋」にも、コイツに乗って燃やせばなんとかなるんじゃないか、と巷で評判の、ペダル式アイアンホースである。

 木津川の自転車道を外れて、京田辺市の丘陵地を登った。腹を空かせてやって来たのは、松井山手駅に程近い「A table!」という店だ。店のマスコット、ロナウジーニョ(犬なのか人なのか)は相変らず玄関のそこに居た。

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 木漏れ日が注ぐテラスのテーブルに着いた。空はスコンと抜けている。レーパン姿のオヤジ二人は、メキシカンビールで乾杯した。パスタランチを注文。自転車の事、仕事の事、ウフフな事、食いながら色々と話した。ふと店内を見渡すと、我々以外は全て女性だった。

 帰りは大原野に立寄って、ワーゲンCafe「mamma mia」で再び休憩。女性オーナーのおきゃんさんと雑談。もうすぐ西山一帯でも"紅葉祭り"が始まるとの事。ボチボチそんな頃合で、週末ともなれば、京都はもう大変である。

 この秋、とある処から男爵芋をたくさんもらった。煮物やら、揚げ物やら、ゴトゴトやら、作って食べている。素材が良いのか、料理人の腕が良いのか、けしからんぐらい美味い。お酒もすすむ。困った。

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 山が色づく頃には、例のアレに乗って走りたい。そうは思っているものの、仕事やら、野暮用やら、何や缶やで、予定が立たない。それで夜毎、地図を肴に飲んでいる。走力は貧弱だけど、想像力は逞しい方だと思う。近畿一円を縦横無尽に駆け巡っている。いつ走れるか判らない。そもそも本当に走るのか怪しい。安い酒と地図。楽し旨い。困った。

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