長雨と彼岸花

長雨と彼岸花1610trekcosmos牛車のようにノロマな台風のおかげで、9月は雨ばかりだった。雨が多い時節とは言え、これでもかと降り倒した感がある。お尋ね者の太陽が現れた10月の初旬、身支度を整えて家を出た。跨るのは、オヤジ世代の喜びも、悲しみも、おなかのゼイ肉も、すべてを乗せて放浪へといざなってくれる例のアレである。

大原野のそこかしこでも彼岸花が咲く季節だ。実りの季節を迎えて、褐色に変わりつつある田圃の畔に彩を添える。その名の通り、お彼岸の頃に咲く彼岸花は、故人を連想させる。

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haikata-higanbana02b私にとって故人とは、他の誰でもなく、母である。その母が、55歳という若さでこの世を去ったのは23年前のちょうど今頃だ。母が亡くなって二年後、私は結婚して、家族を持って、いろんな事に手を焼いて、どうにかこうにか今も生きている。人の意識とは不思議なもので、ずっと母のいない時間を過ごして来たのに、夢の中では、今でも生きているものとして登場する。そこで何か私に言うのだが、何の話かは分からない。

金蔵寺を懐く西山の麓、灰方集落あたり。丘陵地の田圃に彼岸花が群生していた。例年、10月の声を聞けば、彼岸花はぼちぼち終いのハズだが、たっぷり雨をもらった今年は、まだまだ咲き誇っている。鮮やかな色彩は、牧歌的な風景に場違いなぐらいだ。まっすぐ伸びた緑の茎に炎を点けた姿は、なにか示唆的である。別名、曼殊沙華。天上の花は、赤く、朱く、紅い。

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“長雨と彼岸花” への2件の返信

  1. 松橋の松です。お久しぶりです(何回目だ?)。
    熊本県では台風は予報円から逸れました。
    この記事はずいぶん前に読んだんですが、
    コメントは書けませんでした。
    父が22年前65歳で、母は昨年の三月末に86歳で他界し、
    その後、特に母が亡くなってから、よく私の夢の中に父母
    ともに出てきます。
    その夢も結構リアルの夢が多いのです。(目が覚めてから夢と気づきます)
    その度に、二人が生前の時に何もしてやれなかったと言う思いになります。
    父を憎んだときもあり、母を疎ましく思ったときも正直ありました。
    その思いが夢を見させるのでしょうか。
    彼岸花の赤はすべてを焼き尽くす赤なのでしょうか。

    1. 松さん、今日は。若くして亡くなられた松さんのお父さんは、長らくお母さんをお待ちになりましたね。今はきっとお二人で、松さんを見守っているのですよ。
      夢に出る故人がリアルであるのは私も同じです。母はいつまでたってもソコに居るものとして出てきます。母を疎ましく思ったことがあったのも同じです。自分の夢ですが、己の意思で見ているのか、見さされているのか分かりません。しまいには、夢なのか現実なのか、よく分からない気分になったりします。なにか不思議です。
      そちらは、台風、大雨、火山噴火、いろいろ大変ですが、お元気で。
      コメントありがとうございました。

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