桜を数える妻とキッチンに立つ夫

桜を数える妻とキッチンに立つ夫3月の終わり、例年より少し早く、背割り堤の桜は満開を迎えた。青空に薄いピンクのソメイヨシノが映えている。私は毎年のように、この桜を観ている。その桜並木を家人と歩いた。家人が言った。

「あと何回桜を観れるかな」

なんでも先ごろ聴いた竹内まりやの曲の中に、同じ問い掛けがあったという。確か「デニム」というアルバムに、そんな歌があった。調べると「人生の扉」という歌だった。私も歌の詩に共感を覚えながら桜を眺めた。そして、桜が散ってしばらくすると、私たちは一つずつ年を取る。

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自分に残された時間はいかほどか。半世紀以上を生きた年齢になると、そんな事を考えるようになる。季節とか、気候とか、およそ無頓着だった若い頃に比べれば、今は敏感になっている。春の桜、秋の紅葉、うつろう季節の一瞬に憧憬を抱くのは、歳をとった証だろう。そういうモノサシを持つ事は、若さと引き換えである。

パッと咲いて、すぐに散る桜は、人の命を連想させやすい。あと何回観るのか。残りの回数は誰にも分からない。実のところ、来年の保証もない。命題は健康であることか。ぜひ来年も、すがすがしい気持ちで、満開の桜を観たいと思う。

その夜、私はキッチンに立った。夕食のしたくである。材料は、タケノコ、茄子、ピーマン、豚肉である。洛西の丘陵地、竹林の中で暮らしているも同然の我が家は、この季節、旬の食材と言えばタケノコである。

切るのは家人、炒めるのは私。巷では、南北融和ムードの折だから、そんな感じの分担作業である。食感が大切だから、痛め過ぎない。フライパンが痛むから、コンコンと五徳にぶつけるなと家人。はいはい分かりましたと私。さて味付だが、今回は魔法のコレを使った。最後にゴマ油で香りをつけて完成だ。季節感ただよう「筍と茄子とピーマンの炒め物」は、ハイボールで頂く。上出来である。

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