天ヶ瀬ダムと石山寺と南禅寺の青瓶珈琲

天ヶ瀬ダムと石山寺と南禅寺の青瓶珈琲アーチ型のダムサイト越しに紅葉が燃えていた。晩秋の弱い太陽が照らすのは金糸銀糸の広葉樹たちだ。桜も紅葉も散りぎわが美しいというが、さもありなん。人造物であるコンクリート壁と自然とが作る風景は見事である。

師走になったばかりの平日、車の助手席に家人を乗せて家を出た。今時は、北の方から寒気団が下りて来ない限り、穏やかな天候が多い。朝の空気は乾いて凛としている。京都の紅葉劇場も千秋楽が近いが、紅葉を観ようとやって来たのは、宇治川の上流、天ヶ瀬ダムである。ベタでささやかではあるが、夫婦紅葉散策は恒例の行事である。

小学校の遠足だったり、釣りだったり、若い頃、赤いクーペに乗って夜な夜な攻めた宇治川ラインだったり、誰かの車がオシャカになったり、思い出はいろいろある。そんな天ヶ瀬ダムだが、オヤジになった今、年に数回は、ロードバイクでやって来る。時速20キロで観る景色はどうにも魅力的だ。

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宇治川の上流を堰き止めたのが天ケ瀬ダムである。宇治川とは瀬田川の事で、瀬田川とは琵琶湖のシッポである。そしてそれは、琵琶湖の唯一の出口となっている。東から西から、500以上もの河川が流れ込む琵琶湖はまさに”近畿の水瓶”と呼ぶにふさわしい。その下流にある天ヶ瀬ダムとは、言うなれば、”琵琶湖の蛇口”である。

石山寺。瀬田川の畔に建つ山門からは、赤い紅葉(もみじ)が覗いている。山門をくぐって、石畳の参道を歩いた。ここまで拝観料は取られない。山門、参道とタダである。これは上手いやり方かも知れない。程なくして関所が現れた。入山料は一人600円也。

本堂を経て、さらに上ったところに銅像があった。紫式部である。式部は「源氏物語」の着想と執筆を石山寺でしたとの事。そして紫式部と言えば、出てくる男がいる。藤原道長である。二人の関係については、ネット上にいろいろ書き込みがある。どうやら時の権力者藤原道長は紫式部にご執心だったようだ。1000年以上前の話である。

南禅寺。小雨が降り出した中、石川五右衛門の「絶景かな」で有名な山門を通ってしばらく行くと、右手に赤煉瓦の建造物が現れる。水路閣である。明治中期に創られた水道橋で、むろん橋の上は水路である。主な目的は、琵琶湖から京都大阪への通船、紡績業に使う水車動力の確保だった。中世、近代と、安定した物流のためには、水運が如何に重要だったかがうかがえる。

水路を何処に通すかは、相当揉めたようだ。かの福沢諭吉は南禅寺側に立ってこう批判している。

「南禅寺は京都にとって重要な観光資源。その境内に水道橋を通すとは正気の沙汰では無い。末代の恥。さらに京都の伝統産業にとって疏水がどれほどの役に立つか」

寺の門前に巨大な橋を作られた南禅寺と三井寺は、行政を相手取って、訴訟を起こしている。しかし、時の流れとは皮肉なものである。現代、眼の上のタンコブだった水路閣の存在が、南禅寺を魅力的な場所にしている。南禅寺はもとより京都東山一帯にとっても、欠かせない観光資源になっている。

湯豆腐の老舗がある南禅寺の参道に新しい珈琲店が出来ていた。ブルーボトルコーヒー(BLUE BOTTLE COFFEE)。米国カリフォルニア州が発祥らしい。せっかくなので寄ってみた。

店は古い日本家屋を居抜いて造っている。壁や柱はそのまま古材が使われいる。平日の午後にも関わらず、満席に近い。客の多くは外国人のようだ。値段は、普段私が飲んでいるコンビニ珈琲の約5倍である。私はアイス珈琲、家人はカプチーノ。夫婦紅葉散策は珈琲を飲んで幕引きである。晩秋の日暮れが近づいていた。

 

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