京都市南区吉祥院の最近のブログ記事

 久しぶりにちょっと長めに走った。例によってnasubiさんに同伴してもらった。自転車道を走り切って、大きなお地蔵さんがいる泉橋寺で折り返して、山背古道の冷たい空気を吸って、ハアハアいいながら漕いだ。そんなこんなで、その夜はいつもにも増して空腹だった。

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 つい最近、京都市の南区の国道171号沿いにうどん屋が出来た。丸亀製麺である。麺が茹で上がるまで並んで待つというセルフタイプの店である。海老天やら、野菜天やら、ちくわ天やら、好きな具材をトッピングできる。刻み葱はフリーだから好きなだけ欲張れる。

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 もともと打ちたての美味しい讃岐うどんだけれど、自転車に乗るとさらに美味くなる。無防備にも、無警戒にも、あれやこれやと食ってしまった。美味すぎるのも困りモノである。因みに、この新店は自転車道の久世橋辺りからはすぐソコである。

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 台風11号が近づいていた。台風が暖かく湿った空気を運んできたおかげで、京都も蒸暑かった。そんな不快な気候にもかかわらず、吉祥院天満宮の境内には大勢の大人や子供で賑わっていた。どちらかと言うと小ジンマリした参道と境内に露店がずらりと並ぶ風景は昔と変わらない。でも子供の数は昭和の時代に比べると確実に減っているのだろう。
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 台風の影響だろうか、この日行われるハズだった六歳念仏踊りは翌日に延期になったそうだ。子供の頃、小銭を握り締めて何度も来ていたハズだけど、六歳念仏踊りをまともに見た記憶はない。りんごあめやら、カキ氷やら、なんやらかんやら、モノを買うのに必死だったのだ。まあ小学生あたりに地元の伝統芸能に興味を持てという方が無理というものだ。京都五山送り火が終わって、この祭りが終わると夏休みも本当に終わるのだ。長い長い夏休みだったけど、永遠には続かない事を知らされる時期だった。

夏の相棒

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 愛称はヤッピーと言う。毎年夏になると事務所の窓に現れるヤモリのことだ。真夏の夜、窓の灯りに誘われて網戸に蚊や虫が群がる。それを捕食しているのがヤッピーだ。今日はよほど機嫌が良いのか、こうして昼間に姿を見せている。
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 僕はいつもヤッピーの居る窓に背を向けて座っている。距離にしておよそ3mぐらいである。ここに居る目的はそれぞれ違うけど、そんな距離間でお互いひと夏過ごすのだ。蒸暑い夜には必ずそこに居て、気が向いたら虫を食べている。捕食の瞬間を何度も見せてもらったが、それは目にも止まらぬ早業だ。動いたと思ったら次の瞬間に獲物は口の中にある。モノ言わぬ相棒がパフォーマンスを見せてくれた瞬間でもある。


 気楽そうに蚊や虫を食べるヤッピーであるが、危険が無い訳ではない。食物連鎖のピラミッドの中で見れば中位に位置するヤモリやトカゲは常に上位のカラスやトンビに狙われているのだ。だから昼間はメッタに姿を見せない。用心深いヤッピーは忍者でもある。何と彼のスーツはいろんな色に変化するスグレモノだ。コンクリートの壁にだって隠れてしまう保護色は見事だ。そんなヤッピーとも、もうすぐお別れである。

 鳥羽・吉祥院辺りは至る所に田畑がある。作物の代表格として九条ネギなんかは有名だ。もちろんネギ以外にも野菜はいろいろ作っているようで、聞くところによると、鳥羽・吉祥院は農地としてはよく肥えた土地なんだそうだ。実は僕の仕事場のすぐ裏もキャベツ畑になっている。春先に小さな苗を植えたかと思ったら、グングン大きくなって、今では大きな緑の葉を広げている。その昔、僕にも無邪気な時代があって、キャベツ畑でモンシロチョウを捕まえていたのを思い出す。因みにモンシロチョウの英語名はキャベツ・バタフライである。
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 収穫はまだチョット先の事だろうが、昨年夏の収穫時には、汚れて商品にならないキャベツを農家のオジサンは分けてくれた。今年ももし貰えたら、「お好み焼き」が良いんじゃないかと妄想している。オフコース、九条ネギは外せないぞ。

 葛野大路通りを北へ向いて歩いた。九条通りにぶつかる200mぐらい手前の路地を右に曲がるとそこは吉祥院商店街の西の端である。看板に「なんでもぞろう」と書いた荒物屋があって、その向かいにはゾウのサトちゃんが佇む薬局がある。こんな調子でお店が続いているのかと言えばそうではなくて、民家の中にお店がポツリポツリとあるといった風だ。それでも頭上には商店街のシンボルとでも言うべき多色の三角連旗が掛けられていた。
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 私が小学生だった70年代頃はこの商店街も相当賑やかだったはずで、クラスには八百屋やお菓子屋の子供がいたのを憶えている。八百屋のみっちゃんはよく学校に遅刻してきた。体の大きい男の子だったけれど動作が鈍くて、いつも誰かに泣かされていた。ある日の学校帰り八百屋の前を通るとみっちゃんはお店を手伝っていた。遠足の前日になると、商店街のお菓子屋にみんなはおやつを買いに行った。名前は憶えていないが、クラスにそのお菓子屋の娘がいた。家がお菓子屋だという事でみんなから羨ましがられていた。でも家業を鼻にかけているようなところがあって何か嫌味だった。
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 吉祥院商店街を東に暫く行くと酒屋があるT字路に出くわす。そのすぐ南には吉祥院小学校がある。僕の母校だ。閑散とした商店街にあって、この付近は比較的お店が集まっている。魚屋、漬物屋、クリーニング屋などが商売をしている。しかし、決して繁盛はしていないだろうし、お店の人は高齢だ。もう少し東に行くと僕の祖父が入院していた吉祥院病院があって、西高瀬川を跨いだ商店街は西大路通りに出て終わる。通りの向こうには大型小売店舗のジャスコ洛南がそびえている。

 四月下旬の夕暮れ、自転車で川沿いを走った。鴨川でもない、桂川でもない。下町の吉祥院・鳥羽を縦断して流れる西高瀬川だ。
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 西高瀬川は幕末の頃、主に木材や物資の運搬のために掘削された運河だ。源流は桂川で嵐山天竜寺付近から発している。市内の鴨川と桂川に挟まれた地域で幾度かの曲折を経た流れは、南区辺りでほぼ南へ向いて流れた後、伏見区で鴨川と合流する。果ては淀川、大阪湾という事になる。
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 小学生の頃、西高瀬川を良く眺めていた記憶がある。毎日、色が変わるのだ。昨日が赤色なら、今日は黄色といった具合だ。地場産業である京友禅が元気だった頃、あちこちの染工場から流れ出る染料は西高瀬川を日替わりで染めていた。環境保全なんてありゃしない、善くも悪くも大らかな時代だった。

 その昔、わざわざ人が掘った運河である。長い間人の暮らしと産業を担ってきたのだ。でも今では水量少なく、コンクリートの川底をやっと流れている。もうその役目を終えたという事か。

 尼崎のJR脱線事故があったその日、僕の仕事は月に何日もない休みだった。テレビが映す事故現場を見ながら刻々と増える死者の数を聞いていた。こんな事故を見せられると、文明社会に生きるリスクなんて事を考えさせられた。自分の日常は果たしてどれ程安全なのだろうか。街で生活する以上、田舎に比べれば事故に遭う確率は高い。あす一日無事でいる保障なんて何処にも無い。当たり前だけどそんな事を考えた。


 夕方、家族を車に乗せて家を出る。行き先はジャスコ洛南店である。途中、今日は吉祥院天満宮のお祭りの日である事に気付く。年に二回、境内に露店が並ぶ日だ。ジャスコに車を止めて天満宮まで歩いた。徒歩でも2、3分だ。


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 夕闇せまる境内は既に大勢の人がいた。小中学生の姿が目立つ。学校の先生の姿もあった。どうやら見廻りに来ているらしい。見渡す風景は僕の時代と変わっていない様に思える。ただ、僕はオッサンになってしまった。代わりに今日は息子と娘が来ている。息子は何やら物色した後「お面」が欲しいと言い出した。値段を聞くと、女店が主曰く「800円です。」 ・・高いよ。

 市内の染井吉野もすっかり葉桜に変わった4月のある日、僕は久世橋の東公園で戌年の付き人といっしょに弁当を食べていた。朝昼兼用である。天気は良いが少し風が強い。水際に並ぶヤナギの新芽が力強い。綺麗だ。

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 ふと空を見上げると何か飛んでいる。どんどんこちらの方に近づいて来る。飛行船だ。大きい。こういうのは歓迎だ。思わぬオカズで弁当が更に美味しくなった。桂川上空に差し掛かる頃には飛行船に描かれた文字がはっきり読めた。どうやら大手石油会社の広告のようだ。飛行船は桂川に沿って大阪方面に進んで行った。


 ネットでこの飛行船について調べると出てきた。日本の会社が所有するドイツ製の飛行船で、名をツェッペリンNT号と言うらしい。余談だがドイツの飛行船と言えば悲劇の飛行船ヒンデンブルグ号を思い出す。その昔、同号はニューヨーク上空で爆発炎上したのだが、今の飛行船は安全で速いらしい。それにしても凄い乗り物だ。誰が乗っているのだろうか・・乗せてくれ。

 葛野大路通の石原交叉点を自転車で南に行く。5、6分も走れば、桜並木が見えてくる。数十本の桜が、さほど高くない塀に囲まれた敷地の中に植わっている。京都市の鳥羽水環境保全センターだ。
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 この辺りは吉祥院と鳥羽のちょうど境目にあたり、広大な敷地に下水処理のための施設が集まっている。桜並木はその一角にある。京都の南の外れの超ローカルな桜だ。
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 鉄とパイプの要塞の脇を六部咲きの桜が固めていた。しかし、下水処理の施設だけにチョット臭うのだった。
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 吉祥院天満宮には幼少の頃の思い出が少なからずある。四月と八月にお祭りの日には、境内には露店が並んだ。幾らかの小銭をもらってそこへ行くのが楽しかった。りんご飴、串かつ、たこせんべい、カキ氷、お金が尽きるまで買って食べた。

 
 でも祭りの夜は危険もあった。中学生ぐらいになると「ケンカ」や「カツアゲ」なんて事もあったりした。子供社会の「弱肉強食」だろうか、そんなチョットうらぶれた下町の空気も子供心に感じていたのを思い出す。でもそんな不安を割り引いても、年二回のお祭りは十分に楽しい行事だった。今の子供達もきっと楽しみにしている事だろう。
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 この神社の解説は他に譲るとして、昔、子供だった僕に誰かがこんな事を教えてくれた。


「この吉祥院天満宮は正真正銘、菅原道真公の生誕の地である。菅原道真に関しては、京都も含めて日本中のあちこちに所縁(ゆかり)があるけれど、本当の意味での道真公の拠り所はここ吉祥院天満宮である。ここに比べれば他はあやしい・・」


 なんたる地元愛だろうか(笑)。僕は今でもそれを信じている。そんな吉祥院天満宮の桜は二分咲きだった。

2008年5月

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