小学校からだからもう30年来の友達だ。新年会をしようとガキの頃からの友達4人が集まったのは韓国料理「韓国さくら亭」というお店。コリアンテイストただよういい店だ。場所は地元、南区吉祥院にある。


この日どんな話をしたか、めんどくさいので要約すると・・
「マルイ淡路島仕事いそがし新マン結婚式のせーばいデジカメでモリタどこや菊ピー来れず星が味の素でマチガイナイ」
とまあこんな感じだけど、解る人はまずいまい。意味不明でスンマセン・・。
心を許せる友達との時間は本当に楽しい。昔の話、家族の話、いえない話、話は尽きない。大切な時間だ。「韓国さくら亭」は料理も焼肉も美味かった。

京都市南区吉祥院: 2005年1月アーカイブ
京都の東寺(教王護国寺)の前を通る度に思い出す事がある。
「鳥羽・吉祥院の百姓達が東寺を目指してたびたび攻め入った」中学校の歴史の授業で聞いた「一揆」の話だ。鳥羽・吉祥院はクラスみんなの地元だ。当然クラスに農家の子供がいたものだから
「お前の先祖は東寺目指して一揆したんだな」
「・・そうだな」
農家の子は返事に元気がない。
そんなやり取りを憶えている。余程話が面白かったのか、それ以来僕の頭は「東寺」といえば「一揆」になってしまった。

ネットで検索して見るといろいろ出てきた。ちょと引用してみる。
「正長の土一揆のあと14年を経て1441年(嘉吉1)にまた京都に大規模な土一揆が起こった。正長のそれとともに代表的なものとされている。(中略)
9月に入るとその勢いはますます大きくなり,鳥羽吉祥院以下中道より東の一揆は東寺にこもってその数2〜3,000人。」
(中村吉治『土一揆研究』1974より)

冒頭の「正長の土一揆」は1428年の事だ。以降の15世紀と言うのは「一揆」が多かったようで「一揆の世紀」と言われている。京都や近江辺りは一揆の多発地帯で、なかでも平安京の入り口に位置する「東寺」は襲撃の標的だったのだ。京のシンボル「五重塔」は4度焼かれている。鳥羽・吉祥院の蜂起した農民は、北の空に目をやった。見えたのは、高くそびえる権力の象徴「五重塔」だったに違いない。
京都市立吉祥院小学校は創立から128年を迎える歴史ある学校だ。計算して見ると、明治の初期で大政奉還から10年後というからとんでもない古さだ。実は何をかくそう僕はこの学校の卒業生なのだ。仕事場から程近い母校に愛車を駆って行ってみた。

校内に入るのは卒業以来なのでもう30年ぶりだろうか。僕の時代には校舎のほとんどが木造だったのだが、今はご覧の通りだ。当然か。校舎のレイアウトもだいぶ変わっているようだ。

デジカメで辺りをパシャパシャ撮影していると校舎の中から男性が一人でてきた。年の頃は僕と同じぐらいか、メガネを掛けて温厚そうな風貌だ。
メガネの男「何か・・」
僕「怪しい者ではありません」
メガネの男「いや別にそんなつもりは・・」
僕「僕はここの卒業生でチョット写真を撮らせてもらってました」
笑ってしまうがこんな調子で会話が始まった。

今は冬休みだが昼間は門を開けていて、逆に休みが明けて子供たちが登校するようになると門は閉めると言う。理由はもちろん子供の安全のためだ。何処の小学校も同じだそうだ。今日の治安の悪さが学校運営をいびつにしている。ほんの数分だったがそんなこんな話をした。帰り際に僕が訊いた。
僕「失礼ですが、先生ですか?」
メガネの男「ええ、教頭をしています、杉田です」
杉田先生ありがとう。また来ます。
