鳥羽・吉祥院辺りは至る所に田畑がある。作物の代表格として九条ネギなんかは有名だ。もちろんネギ以外にも野菜はいろいろ作っているようで、聞くところによると、鳥羽・吉祥院は農地としてはよく肥えた土地なんだそうだ。実は僕の仕事場のすぐ裏もキャベツ畑になっている。春先に小さな苗を植えたかと思ったら、グングン大きくなって、今では大きな緑の葉を広げている。その昔、僕にも無邪気な時代があって、キャベツ畑でモンシロチョウを捕まえていたのを思い出す。因みにモンシロチョウの英語名はキャベツ・バタフライである。
収穫はまだチョット先の事だろうが、昨年夏の収穫時には、汚れて商品にならないキャベツを農家のオジサンは分けてくれた。今年ももし貰えたら、「お好み焼き」が良いんじゃないかと妄想している。オフコース、九条ネギは外せないぞ。
京都市南区吉祥院: 2005年5月アーカイブ
葛野大路通りを北へ向いて歩いた。九条通りにぶつかる200mぐらい手前の路地を右に曲がるとそこは吉祥院商店街の西の端である。看板に「なんでもぞろう」と書いた荒物屋があって、その向かいにはゾウのサトちゃんが佇む薬局がある。こんな調子でお店が続いているのかと言えばそうではなくて、民家の中にお店がポツリポツリとあるといった風だ。それでも頭上には商店街のシンボルとでも言うべき多色の三角連旗が掛けられていた。
私が小学生だった70年代頃はこの商店街も相当賑やかだったはずで、クラスには八百屋やお菓子屋の子供がいたのを憶えている。八百屋のみっちゃんはよく学校に遅刻してきた。体の大きい男の子だったけれど動作が鈍くて、いつも誰かに泣かされていた。ある日の学校帰り八百屋の前を通るとみっちゃんはお店を手伝っていた。遠足の前日になると、商店街のお菓子屋にみんなはおやつを買いに行った。名前は憶えていないが、クラスにそのお菓子屋の娘がいた。家がお菓子屋だという事でみんなから羨ましがられていた。でも家業を鼻にかけているようなところがあって何か嫌味だった。
吉祥院商店街を東に暫く行くと酒屋があるT字路に出くわす。そのすぐ南には吉祥院小学校がある。僕の母校だ。閑散とした商店街にあって、この付近は比較的お店が集まっている。魚屋、漬物屋、クリーニング屋などが商売をしている。しかし、決して繁盛はしていないだろうし、お店の人は高齢だ。もう少し東に行くと僕の祖父が入院していた吉祥院病院があって、西高瀬川を跨いだ商店街は西大路通りに出て終わる。通りの向こうには大型小売店舗のジャスコ洛南がそびえている。
四月下旬の夕暮れ、自転車で川沿いを走った。鴨川でもない、桂川でもない。下町の吉祥院・鳥羽を縦断して流れる西高瀬川だ。
西高瀬川は幕末の頃、主に木材や物資の運搬のために掘削された運河だ。源流は桂川で嵐山天竜寺付近から発している。市内の鴨川と桂川に挟まれた地域で幾度かの曲折を経た流れは、南区辺りでほぼ南へ向いて流れた後、伏見区で鴨川と合流する。果ては淀川、大阪湾という事になる。
小学生の頃、西高瀬川を良く眺めていた記憶がある。毎日、色が変わるのだ。昨日が赤色なら、今日は黄色といった具合だ。地場産業である京友禅が元気だった頃、あちこちの染工場から流れ出る染料は西高瀬川を日替わりで染めていた。環境保全なんてありゃしない、善くも悪くも大らかな時代だった。
その昔、わざわざ人が掘った運河である。長い間人の暮らしと産業を担ってきたのだ。でも今では水量少なく、コンクリートの川底をやっと流れている。もうその役目を終えたという事か。
