自転車: 2005年11月アーカイブ

 日吉ダムからの帰り道、は府道25号を南へ向いて走っていた。八木町と亀岡市を結ぶ同道は大堰川を挟んで国道9号とほぼ平行して走っている。国道9号に比べれば交通量はウンと少ないから自転車は快適だ。愛宕山の麓に広がる景色をオカズにペダルを踏む。まあ景色と言っても田畑ばかりだが・・


 府道を何処かで外れてしまった様で、気が付くと大堰川の堤防を走っていた。別に気にしない。川に沿って下れば、間違いなく亀岡に辿り着く。月読橋という素敵な名前の橋を過ぎた辺りの事だ。僕の鼻は異変を感じた。何か臭う。家畜の臭いだ。前方に見える農舎に家畜がいるようだ。
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 牛だった。何頭いるのか分からないが、黒い牛がたくさんいる。黒毛の和牛であるからには肉牛だ。乳を搾る牛では無く、食肉用である。亀岡牛という事か。せっかくだからと僕がカメラを構えると、寄って来て柵から顔を出してくる。なんと人懐っこい事だろう。臭いが可愛い。人間とは傲慢で恐ろしい生物だ。牛に限らず動物という動物を片っ端から喰っている。彼らの運命を思うと一抹の淋しさを覚えた。帰り道、僕は「ドナドナ」を口ずさんでいた。焼肉を食べるのは止めよう。とりあえず今週は・・。

 渡月橋から眺める嵐山の景色はよくよく見るとチョット不思議だ。川が突然出現している!ように見える。もちろんそれは川が蛇行しているために上流が見えないだけの事ではある。しかし、右岸からせり出した嵐山が上流を見事に隠している事と、そこで川幅が急に広がっている事が不思議な視覚効果を造っている。紅葉が盛りの今時などは、あたかも錦の屏風の前に川の舞台がある様に見えなくもない。


 まるで舞台の袖に消えるように川筋は嵐山の奥に消えているのだが、その奥とは言わずと知れた保津峡である。嵐山から保津峡へ行くにはJR山陰線やトロッコ列車を利用するのが便利だ。では道はどうかと言うと、一本だけある。嵯峨鳥居本から六丁峠を越えるルートだ。車も通れるが、余りお薦めはできない。渓谷沿いの道は決して良いとは言えない。
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 21日の月曜日、僕は休日だった。朝から雲ひとつ無い青空だった。それならばと僕は六丁峠を越えた。もちろん自転車である。鳥居本から一気に登り切りたいのはヤマヤマだったが、そこは何だ、中年男である自分の心肺能力と相談して途中で一度休憩を入れた。何せ後半の斜度は殺人的だ。腰をサドルから上げてペダルに体重を掛けるダンシングで登った。死にそうにしんどかった。空気は冷たいのに汗が出る事、ヨダレも出た。


 峠から渓谷までは下り坂と言うよりは崖下に落ちるようだ。ブレーキを引いたまま葛篭折れを降りて来た。嵯峨鳥居本から数分の距離なのに、このギャップはどうだろう。方や多くの観光客で賑わっているが、峠を挟んで反対側は人を寄せ付けない大秘境である。表と裏のギャップが面白い。逃げ場の無い渓谷沿いに道は一本、インディ・ジョーンズじゃなくても冒険心をくすぐられる風景だ。
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 道は愛宕山麓の登りが続く。途中、山の斜面に黄色い果実が現れる。水尾は柚子の里だ。青い空と黄色い柚子が印象的だった。その後、暫く続いた登りが終わると棚田が広がる集落に出た。越畑である。山頂の紅葉が美しい。別れ道を左に行けば八木・亀岡方面、道成りに行けば神吉を経て日吉ダムに至る。どちらへ向いても下りが始まる。
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 越畑から始まった爽快な下りも神吉集落辺りで一段落して道は平坦になる。しかし、集落の外れで道は再び下り出す。下った先が日吉ダムだ。この下りはなかなか凄い。車なんて滅多に来ない。ここまで頑張ったご褒美である。ただ、森林に囲まれた日陰の下り道は寒そうだ。ウィンドブレーカーのジッパーを首まで上げた。空は相変わらず馬鹿みたいに青かった。

 「赤いきつねと緑のたぬき」はマルちゃんの大ヒット商品である。金八先生こと武田鉄矢の長年に渡るCMキャラでお馴染みだ。なんでも武田鉄矢がCMキャラを勤めて25年になるのだそうだ。同じ商品のCMを一人のタレントがそれだけ長く勤めた例は他に無いらしい。凄い事なのだろう。その赤と緑と言えば、ちょうど今の季節のコントラストである。どちらかと言うと京都の山は杉や松のように一年中色を変えない樹木が多い。北山辺りは特にそうで、その緑に混じってモミジの赤が映えている。


 場所は飛んで奈良である。その日僕は精華町にある花空間けいはんな(京都フラワーセンター)に車でやって来た。同施設に余り関心が無い僕は、家族を降ろしたあと、一人奈良まで足を延ばした。車の荷室には自転車が載せてある。午後からは仕事もあるのでゆっくりしているヒマは無いが、とりあえず時間の許す限り奈良公園周辺をウロウロしようという腹心算である。天気は上々だ。
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 東大寺を皮切りに公園周辺をゆっくりと走る。日曜日の大仏殿の参道は人がゾロゾロ、鹿もチョロチョロ、スピードは出せない。大仏殿の裏にある池を通りかかった時、その色に目を惹かれた。モミジの赤と銀杏の黄色だ。赤と黄のコントラストが目に眩しい。辺りには多くのカメラマンや絵を描く人がいた。


 京都の平安京と同じく碁盤の目に整備された奈良の平城京は方角の見当が付き易い。交通量が少ない分京都よりは自転車向きか。自転車道も幾つかある。古さで言えば平安京の上を行く奈良の都である。それこそ寺社仏閣、古刹には事欠かない。
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 平城宮跡辺りで県道から外れて旧道や路地を行く。路地に入れば碁盤の目とは行かないが、それがまた面白い。入組んだ細い道を抜けると池が現れた。そしてまた路地を行く。するとまた池が現れる。奈良は池の宝庫だ。池の真ん中には小さな築山があったりする。見た目にはタダの山稜だが、多くは前方後円墳である。日が暮れるまで徘徊していたいが、そうも行かない。ぼちぼち帰る時間だ。これまで。

 性懲りも無く坂を登った。空気は冷たいにのに汗が止まらない。口はだらしなく半開きでハアハア言いながら空気を吸って吐く。僕の重たい身体を乗せた自転車が目指すのは京都府井手町にある万灯呂山(大峰)の頂上だ。標高は303mだから花背峠の半分にも及ばない。距離は短いけれど、所々で出くわす急な傾斜は僕にとっては相当な試練だった。いやはや正直しんどい・・。


 この日は、素晴らしい二人の同伴者がいた。ブログを通じて知り合ったジョーさんみーこさんだ。実は三人とも初対面だった。朝、桂大橋で待ち合わせて、挨拶もそこそこに、流れ橋、山城大橋、万灯呂山と走って来たのだ。しかし、趣味と言うのは有り難い。あいだに自転車が在るだけで、並んで走るだけで打ち解けられる。
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 ヘロヘロの状態で頂上の展望台に辿り着いた。お二人は先に到着されていた。頑張ったご褒美はすばらしい眺めだった。眼下に広がるのは蛇行する木津川と京都府南部だ。右手奥の方が京都市街である。万灯呂山は苦しかったけれど良い所だった。


 ダンプが引っ切り無しに通る307号の峠道を何とか抜けて宇治田原に来た。ジョーさんお奨めのうどん店で昼食をとる。僕はカレーうどんを食った。本当に美味い。宇治田原に来たらまた寄りたい。
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 宵待橋から天ヶ瀬ダムに入った。紅葉が美しい宇治川ラインを走り、ダムサイトから宇治川公園に至る。平等院参道にある宇治茶の店で休憩となる。自転車の事をいろいろ教えてもらったり、あれこれと談笑した。帰り道、ジョーさん行き付けのサイクルショップ「リンリン野田」に立ち寄った。たいへん気さくなご主人である。タダでフロントディレイラーの調子を見て貰ってしまった。


 この日は風が強かった。にも拘わらず、ほとんどみーこさんに引いて頂いた。甘えっ放しだった。一人で自転車道を走ろうと始めた自転車だけれど、いつの間にか知り合いが増えた。こんな僕にも気さくに接してくれる方々に感謝したい。みーこさん、ジョーさん、ありがとうございました。

 デュークエイセスが歌った「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり〜♪」は有名な歌である。その曲名は「京都大原三千院」なのかと思ったらそうではなく「女ひとり」と言うらしい。女ひとり・・確かに京の奥座敷である大原三千院を女性が一人訪ねるのは絵になるだろう。しかしまあ、それは歌の話であって、我々の現実はオヤジ四人である。しかも全員、頭にはクルミの殻の様な例のヘルメット、下半身は黒いももひき(レーパンとも言う)というイデタチである。その四人とはAUenoの雑記の上野さん、イケメン大西さんロードバイク茄子日記のnasubiさん、そして僕である。空は文句の付けようの無い青空だった。


 集合場所の嵐山から広沢池、鷹ヶ峰、上賀茂神社を経て大原を目指した。道中、立ちはだかる江文峠では僕一人が置いて行かれてしまった。先頭を行くnasubiさんは恐ろしく速い。ゼイゼイ言いながら峠に辿り着くとみんな待っていてくれた。お荷物でゴメンナサイ。病み上がりだからと言うよりは、唯単に体が重いだけである。そんな僕を上手く言い当てた言葉がある。ヘタレである。
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 寂光院の人出も相当なモノだったが、三千院はもっと凄かった。まず自転車はまともに走れない。人波に揉まれながら自転車を押して歩いた。山門の前などはもう狂気の沙汰である。肝心の紅葉はと言うと、もうチョットか。今月下旬から12月に掛けてが良いかも知れない。ゆっくり観るなら平日に来たい。


 大原から京都の市街地に戻った我々は岩倉のCafeで昼食を取った。自転車談義に花が咲く。話す内に、nasubiさんと僕には大変な共通点があった事を知る。同じ高校でしかも同学年だったと言うウソの様な本当の話だ。世間はやはり狭いと言う事か。
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 昼食を取った店から目と鼻の先に面白い自転車店があった。京都で唯一フレームから自転車を造っているVIGOREと言う店だ。ヨーロッパでも無く、アメリカでも無い、京都の自転車工房が造るバイクがそこにあった。上野さんは熱心に話を聞いていた。買っちゃうんだろうか。


 その後、哲学の道、法然院、南禅寺を経て嵐山に戻り、解散となった。何処もかしこも相当な人出だったが、やはり仲間と走るのは楽しい。「一人じゃないって素敵な事ね〜♪」てな歌があったが、その通りである。上野さん、大西さん、nasubiさん、ありがとうございました。

 今日久しぶりに八幡のながれ橋まで走った。見ると橋の一部に工事中の柵が並んでいた。橋の一部が黒く焼け落ちている。放火か。今回に限らず、橋はたびたび放火の憂き目に遭っている。何が面白くてこんな事をするのか。放火は許せない。
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 火付け盗賊検めと言えば、テレビ番組「鬼平犯科帳」の主人公、鬼の平蔵こと長谷川平蔵が有名だろう。今に言う警察庁長官か警視総監か、だいたいそんなところだ。その役職名にわざわざ「火付け」とあるからには、町に火を放つ行為が如何に重大な犯罪であったかがうかがえる。多くの人の生命と財産を奪う放火は、江戸の昔から重罪だったのだ。時代は変わって平成の世、連続放火犯は事もあろうにNHKの記者だったというから大騒ぎだ。仕事に行き詰っていたとか、悩んでいたとか、報道ではそんな話が聞こえてくるが、だからどうだと言うのだ。そんな事で火を付けられた側は堪ったもんじゃない。


 120万件を超える受信料不払いでニッチもサッチも行かないNHKは泣きっ面に蜂か。NHKの会長は頭を下げていたが、またまた世間の罵声を浴びる様な事態になっている。放火現場でたびたび目撃されていたという記者は消防士の制止にもかかわらず「俺はNHKの記者だ」と息巻いていたそうだ。時代劇風に言えば、瓦版売りが自分で火を付けておいてその翌日、辻角で大声を出して書物を売ると言う訳である。鬼の平蔵もびっくりである。マッチポンプとはこの事だ。


asahi.com: NHK記者放火未遂で会長が謝罪会見 報酬を自主返上?-?社会

 子供の頃の記憶というのは断片的であるが、妙に鮮明に憶えている部分がある。先にpower's cycle diaryに投稿させていただいた記事の中でも少し触れているが、10才の頃に手に入れた自転車に纏わる記憶は僕にとって消し難いモノになっている。当時、両親の離婚で母子家庭だった僕は、学校から帰っても家には誰も居なかった。そんな中、与えられた自転車は、それこそ何処でも行ける魔法の乗り物だった。以下は70年代半ばのある日の記憶を書いたモノである。


 言わば飛び道具だった。小学校5年のとき買ってもらった5段変速の自転車は、行動範囲を格段に広げてくれた。もともと知らない所へ行くのが好きだった僕は、孫悟空の金斗雲よろしく毎日乗り回した。大きな歯車で漕ぐと軽いけど余り進まない、小さな歯車で漕ぐと重いけどたくさん進む。変速ギアの仕組みに慣れたのもその頃だった。その当時の自転車はたぶんこんな感じ
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 夏休みのある日、自転車に乗った友達2人に僕は「この道をどこまでも走ろう」と提案した。遠くまで行くと親に叱られるという者もいたが、結局3人で行く事になった。かくして僕たち3人は遊びなれた町内を出発した。自転車は交差点や信号を幾つも過ぎる。隣町のそのまた隣町も越えて進む。真夏だから直ぐに喉が乾いた。公園を見つければ水道ぐらいあるのだが、知らない町だからどうしようも無い。当時はジュースの自動販売機なんてそうそう無かったし、あったところでお金も無い。どうしたか。僕達は民家を訪ねた。「ごめんください、すいません、水を飲ませてください」こんな調子だったと思うが、家から出てきたオバさんは、水を飲ませてくれた上にパンまでくれた。今にして思えば図々しい話だが、そんな風だった。
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 どれぐらい漕いだのだろうか、辿り着いたのは山だった。見上げると不思議な光景があった。山に続く細い道には階段があって、その先には赤い柱が何本も見える。良く見るとただの柱ではなかった。鳥居だった。斜面に数えきれなぐらいの赤い鳥居が並んでいてそれが山の奥まで続いている。僕達は自転車を降りて、幾つもの鳥居をくぐり山道を登った。しばらく行くと突然視界が開けて広い場所に出た。そこが「道の果て」だった。立派な御堂やキツネの石像があるのを見て、そこが寺か神社であることは判った。数年後に僕はそこが伏見稲荷大社であった事を知るのだが、当時の僕達にそんな事はどうでもいい事で、それよりも何よりも僕達には達成感があった。頑張った末にゴールを見たのだ。ただ、みんな気持ちは満足でも腹は相当空いていた。どうやって帰ったのか、帰りの記憶はほとんど無い。

2008年7月

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