京都: 2005年5月アーカイブ

 久世橋から自転車道を南下して、赤池で国道1号線に入る。もちろん自転車に乗ってである。風とホコリのせいで、コンタクトレンズをした眼が痛くてたまらない。もう泣きっぱなしだ。仕方がないので国道沿いのゴルフ5で安物のサングラスを買って着ける。これでなんとか眼が開けられるようになった。


 その後横大路交差点で東に向く。登り坂の途中で高瀬川に出た。高瀬川にかかる三栖橋から酒蔵や京阪電車を眺めながら一休みする。この先で幾つかの水路が宇治川に合流している。京都伏見は川と町が融合した所だ。自動車や鉄道が無かった時代は物流手段の主役は船だったから、ここが都への物資が集まるターミナルだったのも頷ける。
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 伏見の商店街を抜けると北へ向いた。国道に出ても味気ないのでゴチャゴチャした旧道を行く。それでも棒鼻という所で国道24号線に出てきた。棒鼻とは印象的な地名だ。何なんだろうか、ピノキオの鼻の事だろうか。訳の判らない事を考えながらペダルを踏んでいると、雨が降ってきた。あいたた、カッパを持っていない。百円ショップの駐車場で止むのを待つ事にした。


 小降りになったところで再び動き出した。龍谷大学の前を通って伏見稲荷に立ち寄る。まだ小雨は降っているが陽が差して来た。俗に言う「キツネの嫁入り」である。その嫁入りしたキツネが伏見稲荷に居た。きっとコイツだ。
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 その後、鴨川七条あたりを経て京都駅前に辿り着く。京都タワーの真下にあるスターバックスでアイスコーヒーを飲む。半日かけて南区、伏見区、下京区あたりを自転車で流した。走った距離は40kmぐらいか。時計を見ると午後5時を過ぎている。腹減った。帰ろう。

 京都市伏見区の大手筋通り辺りをウロついた。高瀬川沿いの松本酒造の酒蔵を眺めようと土手に来てみると、草刈の真っ最中だった。草刈機の音が喧しいので見物もそこそこに、大手筋商店街に向かって歩く。途中、「月桂冠」や「富翁」といった酒造メーカーのロゴが目に入る。近頃は焼酎ブームの煽りで酒造メーカーはしんどいなんて話が聞こえてるが、どうなんだろうか。
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 大手筋商店街は平日にかかわらず、人通りが多い。ここは京阪電車の伏見桃山駅が隣接しているから「駅前の商店街」でもあるわけだ。銀行や宝石店、家電量販店なんかもあって、どちらかと言うと小奇麗な商店が多い。頭上の立派なアーケードが印象的だった。

 鳥羽・吉祥院辺りは至る所に田畑がある。作物の代表格として九条ネギなんかは有名だ。もちろんネギ以外にも野菜はいろいろ作っているようで、聞くところによると、鳥羽・吉祥院は農地としてはよく肥えた土地なんだそうだ。実は僕の仕事場のすぐ裏もキャベツ畑になっている。春先に小さな苗を植えたかと思ったら、グングン大きくなって、今では大きな緑の葉を広げている。その昔、僕にも無邪気な時代があって、キャベツ畑でモンシロチョウを捕まえていたのを思い出す。因みにモンシロチョウの英語名はキャベツ・バタフライである。
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 収穫はまだチョット先の事だろうが、昨年夏の収穫時には、汚れて商品にならないキャベツを農家のオジサンは分けてくれた。今年ももし貰えたら、「お好み焼き」が良いんじゃないかと妄想している。オフコース、九条ネギは外せないぞ。

 葛野大路通りを北へ向いて歩いた。九条通りにぶつかる200mぐらい手前の路地を右に曲がるとそこは吉祥院商店街の西の端である。看板に「なんでもぞろう」と書いた荒物屋があって、その向かいにはゾウのサトちゃんが佇む薬局がある。こんな調子でお店が続いているのかと言えばそうではなくて、民家の中にお店がポツリポツリとあるといった風だ。それでも頭上には商店街のシンボルとでも言うべき多色の三角連旗が掛けられていた。
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 私が小学生だった70年代頃はこの商店街も相当賑やかだったはずで、クラスには八百屋やお菓子屋の子供がいたのを憶えている。八百屋のみっちゃんはよく学校に遅刻してきた。体の大きい男の子だったけれど動作が鈍くて、いつも誰かに泣かされていた。ある日の学校帰り八百屋の前を通るとみっちゃんはお店を手伝っていた。遠足の前日になると、商店街のお菓子屋にみんなはおやつを買いに行った。名前は憶えていないが、クラスにそのお菓子屋の娘がいた。家がお菓子屋だという事でみんなから羨ましがられていた。でも家業を鼻にかけているようなところがあって何か嫌味だった。
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 吉祥院商店街を東に暫く行くと酒屋があるT字路に出くわす。そのすぐ南には吉祥院小学校がある。僕の母校だ。閑散とした商店街にあって、この付近は比較的お店が集まっている。魚屋、漬物屋、クリーニング屋などが商売をしている。しかし、決して繁盛はしていないだろうし、お店の人は高齢だ。もう少し東に行くと僕の祖父が入院していた吉祥院病院があって、西高瀬川を跨いだ商店街は西大路通りに出て終わる。通りの向こうには大型小売店舗のジャスコ洛南がそびえている。

 黄金週間であろうが何連休であろうが、僕には仕事があるから子供達を遠くへ連れて行ってやる事はできない。遊びたい盛りの子供を持つ親としては近所ぐらいは何とかと、連れて来た所は梅小路公園である。広大な旧国鉄跡地に蒸気機関車館や芝生公園がある。

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 文字通り五月晴れである。芝生公園はボール遊びのメッカだ。小さな子供を連れたお父さんやお母さんが目立つ。特設ステージが設けられていて何かやっていた。何なのかは良く見てないので判らない。花や緑の鉢植えも売っていたようだ。公園の脇の建物には「JR」の文字が見える。これは脱線事故を巡って、その体質が批判の的になっているJR西日本の社員寮だった。

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 汽笛が聞こえた。黒煙が上がっている方へ行ってみると、子供達を乗せてた機関車が走っていた。鼻から黒煙を吸いながらカメラのシャッターを切る。子供のためとか言いながら、自分が楽しんでいた。

 連休で子供達が家にいるものだから、外で遊ばせようと河川敷の公園にやって来た。場所は桂川と名神高速が交差した所だ。駐車場に来てみるとほぼ満車だった。でもなんだか様子が変だ。停まっているのはアメ車ばかりだ。それも古いタイプのモノばかり。帽子にサングラスといった姿の若者がいっぱいいる。ホットドックを売る車まである。一帯はアメ車の愛好家に占領されていたようだ。土手の上から名神高速を見ると・・ご覧の通りの渋滞だった。
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 憲法記念日のこの日、僕はひとつ歳を取った。メデタイなんて思わないけど、子供達が「おめでとう」と言ってくれた事が何より嬉しい。正直言うと自分では若いつもりでいるのに年齢だけが一人歩きして行く。姿形はすっかりオッサンだけど、精神年齢はいまだ28歳である。

 四月下旬の夕暮れ、自転車で川沿いを走った。鴨川でもない、桂川でもない。下町の吉祥院・鳥羽を縦断して流れる西高瀬川だ。
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 西高瀬川は幕末の頃、主に木材や物資の運搬のために掘削された運河だ。源流は桂川で嵐山天竜寺付近から発している。市内の鴨川と桂川に挟まれた地域で幾度かの曲折を経た流れは、南区辺りでほぼ南へ向いて流れた後、伏見区で鴨川と合流する。果ては淀川、大阪湾という事になる。
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 小学生の頃、西高瀬川を良く眺めていた記憶がある。毎日、色が変わるのだ。昨日が赤色なら、今日は黄色といった具合だ。地場産業である京友禅が元気だった頃、あちこちの染工場から流れ出る染料は西高瀬川を日替わりで染めていた。環境保全なんてありゃしない、善くも悪くも大らかな時代だった。

 その昔、わざわざ人が掘った運河である。長い間人の暮らしと産業を担ってきたのだ。でも今では水量少なく、コンクリートの川底をやっと流れている。もうその役目を終えたという事か。

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