京都: 2005年10月アーカイブ

 小野郷小学校にやって来た。場所は京都市北区小野、京都市の北西端に位置している。四方を山に囲まれた閑静な集落である。街道沿いには北山杉の製材所や倉庫が見られる。同小学校に来た理由は、預かってもらっていた自転車を受け取るためだ。僕が猫とじゃれ合った?事故現場は同小学校の前だったのだ。
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 校舎に入いると教頭が対応してくれた。50代半ばくらいの男性でメガネを掛けている。

 
 教頭 「書類はこれでよろしいでしょうか?」
 僕 「あ、はい」
 教頭 「振込み先はその書類の通りでいいですか?」
 僕 「・・・」

 
 僕は当初、自転車を受け取るために必要な書類かと思ったが、何か変だ。渡された書類を見ると知らない会社の名前が書いてある。どうやら僕を出入りの業者と間違えている様だ。

 
 僕 「何か勘違いされていると思います。私は預かってもらっている自転車を取りに来た者です。先日そこで事故をしまして・・」
 教頭 「ああ!そうでしたか。失礼しました」

 
 このあと教頭は「シマッタ、シマッタ島倉千代子」とは言わなかったが、そんな吉本バリの天然系の遣り取りを経て自転車を受け取った。僕はお礼を言って北山杉に囲まれた小学校を後にした。因みに同小学校の子供の数は全部で10人と言う事だった。

 紅葉にはまだチョット早い美山を後にした。京都市街へ帰るべく国道162号に入る。京都市の北区と京都北部を結ぶその道は別名、周山街道とも呼ばれている。最大の関門である栗尾峠に差し掛かると遥か頭上に道が見える。上ばかり見ると気力が萎えるので見ない。最も軽いギアから2、3枚手前を使ってツヅラ折れの峠道を登る。呼吸とクランクの踏込みのリズムを保って一歩一歩漕ぎ進む。スピードメータは時速8〜9kmを指していた。峠はまだか・・
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 栗尾峠を無事クリアして周山街道の降りを満喫していたまさにその時、事故は起きた。右手の道路脇から猫が現れた。僕は咄嗟に左へ進路変更した。が、猫も道を渡ろうと猛スピードでダッシュして来た。ダメだ!ぶつかる!猫に衝突した自転車は浮き上がった。次の瞬間、自転車から離れた僕の体はアスファルトに打ち付けられた。

 
 ロード人生で初のクラッシュの相手は周山の野良猫だった。猫も傷んだだろうが何処かに消えていた。事故直後から意識はハッキリしていたが、肩や肋骨の痛みが激しかった。救急車で市内の病院に運ばれてレントゲンやCTスキャンで診てもらった結果、大方の骨や頭には異常が見られないとの事だった。しかしながら、これほどまでの体のダメージは初めてだ。寝返りは打てないし、クシャミをすると肋骨が痛い。ああ、情けない。

 嵯峨嵐山駅で切符を買った。8時6分発の山陰本線福知山行きに乗り込む。黒いレーサーパンツに青い半袖ポロシャツという出で立ちだ。肩には輪行袋、腰にはウエストバックを着けている。空いたスペースに輪行袋を立て掛ける。通勤ラッシュ時なので、さすがに席はない。目的地の安栖里駅までは1時間チョットで着くハズだ。
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 園部駅に着くと6両あった電車が、前2両と後4両に切り離された。2両はそのまま福知山を目指し、4両は京都方面へ折り返して行くのだ。その後、鍼灸大学前で若い学生が多く降りると席が空いた。座ってパンと栄養剤の朝食を取る。


 安栖里駅に着いた。ドアが開くのを待っていると、一向に開かない。この辺りになるとボタンを押さないとドアは開かないのだ。ハッと気付いてボタンを押したが間に合わず、電車は駅を出た。期せずして僕は次の立木駅で降りる事になってしまった。
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 日本列島の骨組みは山地である。山々には必ず川が流れていて日々山を侵食している。急流大国でもある日本は川に削られた独特の地形が発達している。川による侵食と地殻変動は川の両側に階段状の地形を作る。河岸段丘である。その見事な標本が安栖里にある。途方も無い年月を掛けて由良川が侵食した段丘面には集落や田畑が広がっている。


 安栖里から美山を目指した。さほど険しくはないが、美山にある大野ダムまでは登りが続く。大野ダムは虹の湖の異名を取る美しい湖だ。湖に沿って続く道は交通量も少なく走り易い。茅葺屋根の集落を横目に自転車が歓びそうな良道をひた走る。当然ながらこの時は、後に起こる惨事を知る由もなかった。

 山口百恵が「秋桜」(コスモス)を歌ったのは1977年の事である。作詩作曲は言わずと知れた、さだまさし、嫁いで行く娘の気持ちを歌った名曲である。当時、山口百恵は18才だった。今の感覚なら結婚云々にはチョット早い年齢と言えるだろうが、彼女は堂々としたモノだった。早熟志向のアイドルとしては彼女の右に出る者がいなかったのだが、恐ろしいほどに何かを演じ切るという姿を見れば、彼女の歌は演歌と呼ぶ方が相応しかったのだろうと思う。この頃すでに彼女の人気は相当なモノだったが、中学生だった僕はどんどん遠くへ行ってしまう山口百恵にストレスすら感じていた。
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 実は山口百恵にはもう一つ「COSMOS(宇宙)」(コスモス)という歌がある。それは「秋桜」が大ヒットした翌年の春に出た「COSMOS(宇宙)」という歌と同名のアルバムに収められている。その歌の間奏には「秋桜」のイントロの一部が挿入されているという手が込んだモノで、ディープな百恵ファンには有名な曲である。アルバム「COSMOS(宇宙)」はその名の通り宇宙を題材にした曲ばかりだったのだが、中でも浜田省吾が作った「銀色のジプシー」は悲しくて、切なくて、ワケも解らず夜中に涙ながして聞いていた。
写真は10月某日、嵯峨野広沢池辺りのコスモス。

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