そんな中、雨上がりの間隙を縫って家人と二人で散策に出た。行き先は、大原野の善峯寺である。入山料を払って山門をくぐったのはたぶん二年ぶりだ。紫陽花苑では一万本が見頃を迎えていた。花の色は、赤、青、紫、まさにリトマス試験紙の様である。
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入浴後、新聞紙が敷かれたテーブルに家族四人が着いた。真ん中には冷やした西瓜がある。この夏の初モノである。スタジアムはもうすでに熱狂の坩堝で、ヤイのヤイのと大騒ぎだ。
五月の太陽が一塁側に沈む頃、外野スタンドに陣取った。縦じまコスチュームのオッサンやら、おねーちゃんやら、子供達やら、続々と入って来る。甲子園初体験の息子と娘は楽しそう。浜風をオカズにビールを飲んだら、美味いこと、心地ええこと。
近鉄特急に乗って奈良へ行った。天気は上々。電車は、京都府南部と奈良県を縦断して進んだ。
橿原神宮前で乗り換えた後、電車は更に奈良県南部の山間部を分け入って進む。「世界の車窓から」よろしく、窓から眺める吉野川はなかなか美しかった。終点は吉野駅。そこがまさに目的地である。
残念ながら自転車の出番はない。この日はなんと家人と一緒にハイキングである。桜もほぼ終わりの吉野山だが、上千本、奥千本まで登れば、桜が見れるという。つまりが山歩きである。

中千本までバスに乗った。そこから先の上千本行きのバスは、長蛇の列だったので、歩いて登ることにした。上千本までは約3キロの登りである。

上千本に位置する水分神社(みくまりじんじゃ)では枝垂れ桜が迎えてくれた。その古木の周りを社殿の回廊が囲んでいる。枝垂れの神木は見事な花を着けていた。

そこそこきつい勾配を登って金峯神社(きんぷじんじゃ)に辿り着いた。我々の登山はここまで。よく頑張った。
道はずっとどこまでも続いている。大峯奥駈道と呼ばれる道は、近畿の屋根、紀伊山地を越えて熊野本宮まで170km続いているらしい。案内板を読めば読むほど恐ろしい道だ。どうやらロードバイクでは無理らしかった。
学校はまもなく春休みである。我が家の小学生二人は、二週間以上の休みに入る。子供に申し訳ないのは、私には仕事があって、泊まりで何処かへ連れて行くのは難しい。だから行楽行事は日帰りが中心である。今時はテレビで子供向け映画のCMをやっている。それじゃぁと、観に行く約束をした。
ところが、その映画で喧嘩が始まった。息子希望の「ケロロ軍曹3」と娘希望「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」のどちらにするかが争点である。ネットで情報を見ると、人気作品だけあってどちらも面白そうだ。
最近の映画館はマルチスクリーンなので、別々に観るというのも可能ではある。でもせっかく家族で観に行くのだから、みんな一緒に観て、感想を共有するべきだ、と私は思う。だから「別々に観れば良い」とは言っていない。かくして新小6息子と新小3娘の仁義なき戦いは続く。状況はまったく予断を許さない。
写真は、日本列島の西側一帯に住むペコポン人が好む食べ物の調理風景。食べている間は喧嘩は止んだ。
仕事を終えて深夜に家に帰ると、包み紙が置いてあった。娘が僕にくれたチョコレートだった。そのチョコレートを肴に好物のウヰスキーで一杯。
PENTAX K10D & CarlZeiss Planar T * 1.4/50mm
伝え聞くところによると、何でも男の子には誰にもあげてないそうで、そのかわりクラスの女の子ばかりでチョコを持ち寄って食べるらしい。
冬休みは、子供達にとっては、楽しい行事が続く時期だ。中でもXmasは特別である。我家の子供も、物心ついた時から、Xmasにはプレゼントをもらって、食事して、ケーキを食べる、なんて具合だから、もう当然で何の疑いもない。しかし、食事や物が当然にあるなどという考えで大きくなる事は、良い事なのだろうか。
キリスト教徒でも、仏教徒でもない、僕のような無神論者は、まあ節操が無い。Xmasして、初詣して、ツリー飾って、しめ縄つけて、何でもありのチャンポン文化である。どうせならイスラム教のラマダン断食にでも参加すれば、少しは腹もへこむというものだ。
日本でもXmasは一大行事に成長したけれど、中身が無い。思想が無い。そこで育った僕は、見事にスカスカである。狡猾なメディアに扇動されて、ただ訳も無く、子供にモノを買い与えて、食事をさせるという行為を毎年続けている。本当は、Xmasなどいっさい無視しても何の問題もないハズである。それでも毎年そうするのは、ただ世間がそうするから自分もする、というメダカ思考である。メダカどころか、主体性の無さは、流れにまかせて生きる海藻なんかとそう変わらない。
食事ができる事、家族が無事である事、これはすべて幸福な事である。海外の話を伝え聞けば、食事も、健康も、平和も、当り前には無い。ここに日本に、生まれただけで既に"超セレブ"である。日本が平和で、自転車に乗って、美味しいモノが食べられる事に感謝する年の瀬である。
