中書島の灯りと昭和の雀

中学のバスケット部のキャプテンだったMとは、浅からぬ縁がある。小学校らか大学まで同じ学校に通った。大学は学部まで一緒。バイトも一緒にした。同じ空気を吸って大人になった。そんな間柄の我々は、音信が途絶えた時期もあったが、よわい50代半ばに達した今も、着かず離れずの関係でいる。

その友と待ち合わせたのは、京都伏見の中書島である。なんだか得体の知れない『令和』という時代が迫る今にあって、昭和の匂いがする町である。我々は、数年に一度、中書島で飲むのが恒例のようになっている。

中書島は町と川が融合した場所である。戦国時代の末期、伏見の城下に、宇治川の流れを引き込み、水路を築いたのは、豊臣秀吉である。天下人が、治水こそが国家運営とばかり、伏見の地に創ったのは、人や物資が行き交う内陸の港湾都市だった。そこには当然のように遊女たちも集まった。それから400年、中世、近代、戦後の売春防止法まで、中書島の色町としての歴史は長い。一時期は、吉原、島原を凌ぐ歓楽街だったという。いろいろな意味で、魅力的で由緒正しい土地である。

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ボヘミアン・ラプソディ

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観終わった時、私は泣いていた。悲しいからではなく、ラストのライブシーンを観て、気持ちが高揚して涙腺が崩壊したのだ。歳のせいで涙腺が弱っているにしても、ポロポロ止まらない。昭和オヤジの心を揺さぶった映画「ボヘミアン・ラプソディ」について少し雑感を述べたい。

在日コリアンにとって祖国とは微妙なものである。韓国では半分日本人のように見られ、差別的な扱いを受ける。というのは、よく聞かれる話だ。とどのつまり、日本人でもない、韓国人でもない、中途半端な存在なのだ。「ボヘミアン」という言葉には、ボヘミア地方(チェコの西部)の人いう意味もあるが、祖国の無い人、放浪する人、という意味があって、後者の意味で使われるのが大方である。行き場のない無国籍人。そういった意味では、在日コリアンとボヘミアンは符合する。

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遠ざかる昭和と55歳の話

平成最後の年末である。比較的穏やかな歳の瀬だなと油断していたら、今年もあと数日となった週末、寒波がやって来た。夕暮れ時、灰色の空からは、白いモノがパラパラと舞い落ちて、あたりは冷蔵庫のように冷えている。この一年、いったい何があって何をしたのか、いまいち記憶も怪しいが、思いのままに、つれづれに、適当でいい加減な雑感を述べたい。

半世紀をとっくに生きてしまったオヤジである。55歳である。スマホの文字は霞むし、腰に爆弾も抱えている。秋の健康診断では、血中コレステロールが多いから、何とかしなさいと、有難い忠告を頂いた。頑張って身体に良い事に励むとしよう。昭和、平成、まだ見ぬ新年号と、どうやら三つの時代を生きる事になりそうだ。

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天ヶ瀬ダムと石山寺と南禅寺の青瓶珈琲

アーチ型のダムサイト越しに紅葉が燃えていた。晩秋の弱い太陽が照らすのは金糸銀糸の広葉樹たちだ。桜も紅葉も散りぎわが美しいというが、さもありなん。人造物であるコンクリート壁と自然とが作る風景は見事である。

師走になったばかりの平日、車の助手席に家人を乗せて家を出た。今時は、北の方から寒気団が下りて来ない限り、穏やかな天候が多い。朝の空気は乾いて凛としている。京都の紅葉劇場も千秋楽が近いが、紅葉を観ようとやって来たのは、宇治川の上流、天ヶ瀬ダムである。ベタでささやかではあるが、夫婦紅葉散策は恒例の行事である。

小学校の遠足だったり、釣りだったり、若い頃、赤いクーペに乗って夜な夜な攻めた宇治川ラインだったり、誰かの車がオシャカになったり、思い出はいろいろある。そんな天ヶ瀬ダムだが、オヤジになった今、年に数回は、ロードバイクでやって来る。時速20キロで観る景色はどうにも魅力的だ。

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秋桜と花ざかり

雲ひとつ無い青空が現れた。大陸性の高気圧が乾いた風を吹かせて、太陽は柔らかい陽射しを注いでいる。実りの頭を垂れていた稲は刈り取られ、柿畑のソレは順調に色を変えつつある。大原野は秋本番である。朝夕の冷え込みが心地良い今時が、自転車放浪が命綱のオヤジにとっての絶好期である。

西山連峰の麓。高速道路を見渡す丘陵地。農道の脇に秋桜が群生していた。毎年咲く場所だ。青空に薄いピンクが映えている。

およそパソコンで、「こすもす」と入力しても「秋桜」とは変換してくれない。秋桜は本来、”あきざくら”と読む。秋桜(コスモス)を定着させたのは、山口百恵が歌ったあの歌である。

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夏の終わり頃

8月下旬の事。若狭の海を訪ねた。今は、京都縦貫自動車道と舞鶴若狭自動車道の開通でもって、アクセスが楽になった。ひと昔前は、夏の行楽シーズンに京都市内から日本海方面に行くとなると、道は悪いし渋滞するしで、苦労したものである。それが今は、高速道路で日本海の傍まで行ける。渋滞が無く時間が短縮されるというのは、精神衛生上良い事だ。 高浜町にたどり着いた。子供が小さかった頃、家族で民宿に泊まった場所だ。もう子供たちは着いて来ないから、家人と二人である。民宿が軒を連ねる路地を抜けて、白浜海水浴場で車を停めた。 “夏の終わり頃” の続きを読む