西国街道チャリぶら その2 -羅城門あたり-

西国街道チャリぶら その2 -羅城門あたり- | 竹輪野OLYMPUS DIGITAL CAMERA平安京を南北に貫いた目抜き通り、朱雀大路の道幅は、なんと85メートルもあったという。今の堀川通りの道幅が約50メートルだから、その広さに口がアングリである。かのシャンゼリゼ通りも真っ青だろう。道と言うよりは、広場が延々と続いていたようなものだ。どうも都市の規模に対して道幅が広すぎたものだから、管理がおぼつかなかったらしい。この幻の大通りの位置は、今の千本通りあたりである。

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平安京のメインストリート朱雀大路の様子はどんな風だったのか。ネットに幾つかある記述は、良い話ばかりではない。当時は、飢饉や天災のおかげで、多くの人が死んでいる。道端の至るところで牛や馬が飼われたり、あるいは死骸があったり、荒れ果てていたという。朱雀大路の南端である羅城門には、山賊や追い剥ぎが棲みついていて、往来者に強盗を働いていたようだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA都の玄関口である羅城門は、西国街道が始まる場所である。遥か昔は立派な建造物だったらしいが、今は影も形も無い。九条通りから少し北へ入った小さな公園に石碑が残るのみである。

昔は、その羅城門を挟んで左右に寺院があった。西寺と東寺である。羅城門と二つの寺院はワンセットだったと言えなくも無いが、現在残るのは、世界遺産となった東寺のみだ。西寺の跡地は公園になっている。

私事であるが、羅城門には母校の京都市立洛南中学校があった。それはそれは立派な煉瓦積みの校舎だった。中学の三年間、毎日歩いて羅城門まで通った。以前の記事にも書いたが、市立洛南中学校の校舎は、現在、府立鳥羽高等学校になってしまっている。乗っ取りである。

芥川龍之介の小説『羅生門』は、荒廃した平安京を描いている。私の時代には、高校だったか、国語の教科書になっていた。少し物語に触れると、飲まず食わずで野垂れ死んだ女、死んだ女の髪を抜いて金にしようとする老婆、その老婆を追い剥ぐ下人の男、とまぁそんな筋書き。描かれているのは、現代人が空想する”平安絵巻”なんてのとは程遠い、病んだ都市の姿である。生きるか死ぬか、食物連鎖を連想させるハードボイルドでノワールな世界観だ。作者が『羅城門』を『羅生門』とした訳は、そのへんにあるのかも知れない。

代わって平成の現代、相次ぐ増税、就職難、弱者切捨て、詐欺を働き高齢者を追い剥ごうとする若者、どこも違わない。

 

2 Replies to “西国街道チャリぶら その2 -羅城門あたり-”

  1. 羅城門跡にはビックリしました。
    羅城門で西国街道と千本通りが分かれるのでしょうか。
    羅城門から北上して梅小路を過ぎたら島原がありますね。
    角屋さんを見学しましたが本物の迫力を感じました。

    1. uenoさん、今日は。
      羅城門跡のすぐ南は、九条通りです。現在、西へ延びる西国街道をトレースするのは、九条通りです。九条御前という交差点からは旧道(西国街道)が見えます。まっすぐ桂川の久世橋へ延びています。
      島原の風情はいいですね。また機会があれば、ウロウロしたいです。
      アジトの作業、いつも関心しながら拝見しています。

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