西国街道チャリぶら その4 -郡山宿本陣-

西国街道チャリぶら その4 -郡山宿本陣- | 竹輪野OLYMPUS DIGITAL CAMERA高速道路が貫く丘陵地もすっかり春めいてきた。麓を吹く風が、の花びらをハラハラと散らしている。雨が降った竹林に、生暖かい空気が立ち込めれば、筍(たけのこ)が頭を出す。もうすぐ大原野のそこかしこに筍専門店が現れる。丹波街道にある路地モノ野菜の店でも、「朝掘り筍」が幅を利かせる季節である。

パンパンに膨らんだ桜の蕾を横目に西国街道を西へ進んだ。大山崎、水無瀬、高槻、茨木。いにしえの道は天王山の麓から西へ延びる。自動車化が進んだ現代、北摂の山と淀川に挟まれた地域で、西国街道をほぼトレースするのは国道171号である。まずもって放浪が目的である自転車オヤジは、面白味に欠ける国道を避けて、旧道や府道を選んで進んだ。

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「本陣」とは、江戸時代の街道宿駅において参勤交代の大名や幕府役人が泊まった宿のことである。今でいう”セレブ御用達の高級ホテル”ということになる。その姿を300年もの時を経て、ほぼそのまま残した史跡が茨木市にある。「郡山宿本陣」である。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA国道171号の下井町あたりから分かれた側道を西に進むと旧西国街道に当たる。静かな民家の並びに郡山宿本陣が現れた。立派な瓦屋根の日本家屋である。

門を潜ってすぐ脇に、大きな椿が立っている。それで郡山宿本陣は「椿の本陣」という別名がある。

軒先に自転車を停めて、中に入れてもらった。お金は取らない。ちょうど椿は咲いていた。市の教育委員会が管理しているようだ。

様々な資料が展示されいた。大名たちは何を食べたのか。宿の献立なんかもこと細かに解説してあった。なんでも、「忠臣蔵」で有名な悲劇の赤穂藩主、浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)も投宿したらしい。それも4回だというからリピーターだ。江戸の文化が花開いていた時代、元禄時代、300年以上前の話である。

 

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