寒くなった。二十四節気によればもう”立冬”である。近頃私はクシャミばかりしている。オヤジのソレは一度出ると連発するから始末に悪い。家でも会社でも、鼻をかんで丸めたティシュペーパーがゴミ箱に積もる晩秋である。
週末の朝、善峯寺を訪ねた。同伴者はインチキ風水師の家人である。春となく秋となく、我々は事あるごとに善峯寺を訪ねている。善峯寺の山号は「西山」その名の通り西山の中心にある寺である。
社務所で御朱印帳を買った。御朱印帳の最初の頁は善峯寺の印である。目指すは西国三十三所。ちゃんと巡れるのか。何年掛けてもいいから達成しようとは思っている。
京都西山の峻壁に抱かれた善峰寺の紅葉は、刻々と彩を変えている。急な坂と石段で上へ上へと延びる善峯寺は紅葉の色づきも多様で美しい。金糸銀糸の紅葉劇場も今月下旬あたりがクライマックスだろう。
最上段は京都盆地を俯瞰する。そこにある六角堂には桂昌院の銅像がある。傍らには子犬だ。五代将軍の徳川綱吉が発布した”生類憐みの令”は母である桂昌院の影響だと言われている。
応仁の乱で廃墟と化した善峯寺を再興したのは、桂昌院である。善峯寺に限らず、西山一帯の寺院は桂昌院の影が濃い。
善峯寺のすぐ足元、灰方集落。そこにある佐藤養鶏場は柴犬のブリーダーでもある。ちょうど生まれて間もない子犬が三匹いた。黒が二匹と白が一匹。なんとも人なつっこくて可愛い。凄い営業力である。
子犬は直ぐにも連れて帰りたくなるぐらい可愛い。私はもともと犬は好きだ。しかし、家人がブレーキを掛ける。「犬が家に来るなら私は出ていきます」と戌年の家人は言う。それぐらいの覚悟はあるのかと言いたいらしい。動物を飼うというのは簡単な事ではない。もちろん家人の賛成が無ければ否決である。紅葉が終われば、大原野はもう冬枯れである。