十輪寺のなりひら桜とコロナウイルス

十輪寺のなりひら桜とコロナウイルス | 竹輪野コロナウイルスの影がひたひたと忍び寄る3月最後の土曜日のこと。地元の桜を観ようと、家人を連れて散歩した。訪れたのは十輪寺(別名 なりひら寺)。大原野の峻峰、小塩山の麓にある十輪寺は、平安時代の粋なオヤジ在原業平の別邸だった場所である。夏の初めには紫陽花が咲く坂道の参道の先に、そう広くない境内がある。

本殿と回廊に囲まれて枝垂桜の古木が立っている。樹齢約200年の”なりひら桜”である。母屋の畳で寝転んで桜を見ろとの事なので横になった。眠ってしまいそうだった。

在原業平が活躍した平安時代は天然痘や麻疹(はしか)など多くの疫病があったと伝わる。平安時代は遣唐使で大陸との交易が盛んになった時代である。その事と疫病の蔓延は無関係ではないらしい。人の往来が疫病を運ぶ。それは今も昔も同じだ。

今現在、世の中はコロナウイルスが猛威を振るっている。どうやら京都にも緊急事態宣言が布かれそうだ。近畿の中心である大阪、神戸、京都の三都は、なす術もなくコロナウイルスの顎にくわえられてしまった。ブログ更新をほったらかしていた大原野の自転車オヤジが、またまた無責任は承知で雑感を述べる。

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その夜、家でテレビを見ると、清水寺や嵐山の閑散ぶりがニュースになっていた。桜の開花という最も華やかな時期にもかかわらず、どこも閑散としている。ここ数年来、行楽シーズンともなれば、鮨詰め状態の渡月橋、というのが見慣れた風景だった。ゆっくり静かな散策にはちょうど良いかも知れないが、そう安閑とはしていられない。今や京都経済の大方はインバウンド頼みである。この状態が続けば、個人商店や中小零細が倒れていくのに時間はかからない。

なんと460億円を掛けてマスク2枚を各家庭に配るという。しかも布製。「アベノマスク」と揶揄される天下の愚策は、批判の的である。気は確かか。マスク配布案がメディアで報じられた当初、費用は200億ぐらいか、と言われていた。見事に水膨れしている。いったい幾らで仕入れて、幾らかけて配布するのか?これはもう”マスク利権”だろ。この政権には、もうまともな政策を立案できる政治家役人はいないという事か。

欧米諸国は、いち早く現金給付や休業補償を実行している。ネットに流れるパリ市内の映像は人っ子一人いないシャンゼリゼ大通りが映っていた。歴史の違いか、蔓延する疫病に対する覚悟とスタンスが違う。それに比べると、安倍政権というのは、もう無策に等しい。言ってしまえば、布製マスク2枚も、ほとんどの人がもらえない給付金30万円も、何の実効性もない。愚策を弄して「やってる感」を出そうとしてるだけ。そう見えてしまう。心ある野党議員が言うように、今必要な施策は、人々に対して現金を給付する事だろう。武器購入や沖縄基地建設には、湯水の如く金を使う政権が、利権に関わらない事には、金を投じようとしない。

モリカケ、桜を見る会、公文書改竄、統計偽造とデタラメばかりをやって来た政権である。この地球規模のバイオハザードに対して、まともな危機管理ができるハズもない事は自明か。政府の対応に業を煮やした一部の自治体は、独自の給付や対策をやり始めている。

民の命を守るという事が政治の命題ハズだ。今の政府は真剣に取り組んでいるだろうか。数々の政治スキャンダルに何一つ説明責任を果たせない政権に正当性はあるのだろうか。もちろんネットやSNSには政府を批判する声は多い。が一方で「国難の折だから、あまり政府を批判するな」というような意見もチラホラある。馬鹿も休み休みである。苦し紛れの一手よろしく「マスク配布」が意味するものとは何だろうか。どこかの誰かが言うように、今が戦時下だとするならば、無策と絶望の果てに、人々を破滅に追いやったあの”竹槍作戦”とこの”マスク作戦”とはどこが違うのか。誰か教えてくれ。

 

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