ギラギラの太陽と75年の節目の夏

ギラギラの太陽と75年の節目の夏 | 竹輪野ギラギラの太陽に焼かれる日々である。凶暴に発達した太平洋高気圧に包囲された日本列島は茹で蛸のように赤い。暖められた空気が上昇気流を造り、絵に描いた様な積乱雲が出現する8月の空である。コロナ禍に加えて連日の酷暑で朦朧とするオヤジだが、川の水で頭を冷やして雑感を記す。

京都五山の送り火が終われば京都の暑さも峠という事らしいが、そうなるように期待したい。その「大文字」の送り火は、今年に限っては六ヶ所だけが点灯した。松明も密集しないようソーシャルディスタンスという訳だ。お盆の夜空に浮かび上がったのは、ちょっと薄暗いコロナバージョン大文字だった。

テレビの報道番組を観るが、PCR検査をするの、しないの、どうするの、未だにやっている。どこまで行っても着地点は無い。もうウンザリである。ひとつ言える事は、「検査する 隔離する」という基本動作を最初から怠った付けまわしが今来ている。この国の感染対策は、他のアジア諸国と比べても、最低のデキだという事だ。

しかも政府の対策があまりに酷い、アベノマスクにGotoキャンペーン、どんなに批判されようが、利権をせしめる事は決して止めない。感染者が増えようが、死人が出ようが、お構いなし。為政者たちは「我田引水」に明け暮れている。デタラメな大本営発表のもと破滅へと突き進んだあの時代を彷彿させる。

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若くしてこの世を去った三浦春馬が出演していたドラマを観た。NHKの特集ドラマ「太陽の子 GIFT OF FIRE」である。原子爆弾をめぐって終戦間際の日本が描かれていた。ドラマの終盤、家族に見送られて三浦春馬は出兵する。でもそれは、あろう事か、広島に原爆が落とされた直後だった。こんなデタラメで、いったい幾人の若者の命が浪費されたのだろうか。

日本の上空に、初めてB29爆撃機が飛んで来きたのは、1944年の秋である。翌1945年春先には、すっかり制空権を奪われていた。東京や大阪の大空襲の凄まじさは周知の通りである。この時点でもう日本に勝ち目は無い。敗戦は確実である。一部の無能で勇ましい連中は、民衆を破滅に導いてもなお、”竹槍でB29を突き落とせ”と竹槍訓練を命じた。無論落とせるハズもない。

「原爆投下のによって戦争を終わらせた」などというのは、まったくの嘘で、アメリカのやった事は新型兵器による大量無差別殺人(ジェノサイド)である。そしてそれを招いたのは、日本の軍部による無策と無謀である。

歴史修正や排外主義が跋扈する昨今、近隣国との関係は最悪の状態にある。外交は完全に破綻していて、隣国の首脳とはまともに会談も出来ていない。コロナ禍の不安が広がる当世、国会を開く事もせず、議論から逃げ回るばかりの安倍政権はもうお終いだろう。またまた、いろいろ能書きを述べたが、終戦から75年の節目の8月15日に天皇陛下が述べられたお言葉を置いて終わりとする。

「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

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