11月の終わり、龍安寺を訪ねた。時は紅葉のピークである。人出は多いが、未だ尾を引くコロナ禍の影響で外国人の姿はあまり見ない。海外からの旅行客で溢れかえっていた時に比べれば、今年は静かな京都紅葉劇場である。
方丈庭園(石庭)の縁側に座った。若い頃から何度も訪れている庭である。日本の寺院に石庭は多いが、龍安寺のそれは、”枯山水の極致”と評される。
龍安寺を懐に抱くのは衣笠山である。さらに東に金閣寺、西に仁和寺があって、三寺院はいづれも世界遺産である。
ギラギラの太陽に焼かれる日々である。凶暴に発達した太平洋高気圧に包囲された日本列島は茹で蛸のように赤い。暖められた空気が上昇気流を造り、絵に描いた様な積乱雲が出現する8月の空である。コロナ禍に加えて連日の酷暑で朦朧とするオヤジだが、川の水で頭を冷やして雑感を記す。
京都五山の送り火が終われば京都の暑さも峠という事らしいが、そうなるように期待したい。その「大文字」の送り火は、今年に限っては六ヶ所だけが点灯した。松明も密集しないようソーシャルディスタンスという訳だ。お盆の夜空に浮かび上がったのは、ちょっと薄暗いコロナバージョン大文字だった。
テレビの報道番組を観るが、PCR検査をするの、しないの、どうするの、未だにやっている。どこまで行っても着地点は無い。もうウンザリである。ひとつ言える事は、「検査する 隔離する」という基本動作を最初から怠った付けまわしが今来ている。この国の感染対策は、他のアジア諸国と比べても、最低のデキだという事だ。
しかも政府の対策があまりに酷い、アベノマスクにGotoキャンペーン、どんなに批判されようが、利権をせしめる事は決して止めない。感染者が増えようが、死人が出ようが、お構いなし。為政者たちは「我田引水」に明け暮れている。デタラメな大本営発表のもと破滅へと突き進んだあの時代を彷彿させる。
海と陸が創る景色というのは、洋の東西を問わず人を引きつける。日本三景の一つに数えられる天橋立はまさにそうだ。宮津湾の海流が砂を運び、それが堆積して砂嘴(さし)を創り、対岸まで延びて砂洲を形成した。途方もない年月を掛けて出来上がったのは、海を渡る道である。砂洲によってセパレートされた西側が阿蘇海、東側が宮津湾である。
車に家人を乗せて、高速道路をひた走り、成相寺を訪ねたのは、夏空に梅雨雲が屯する7月半ばの事である。
宮津湾の脇に建つ成相山成相寺は西国三十三所の28番札所である。西国一の美人観音として名高い聖観世音菩薩をお参りして、願うは、家族の健康とコロナ撲滅。本堂にある納経所で御朱印をもらった。
本堂から車で約2km登ると成相山山頂の展望台である。迎えてくれたのは、爽やかな空気と絶景だ。展望デッキに立てば、天橋立と宮津湾を眼下に望むパノラマである。カフェで冷たいものが飲めた。美味い空気を吸うべくオヤジはマスクを外そうとするのだが、メガネの弦に紐が引っ掛かる。いちいちが鬱陶しいコロナ世情である。
コロナウイルスの影がひたひたと忍び寄る3月最後の土曜日のこと。地元の桜を観ようと、家人を連れて散歩した。訪れたのは十輪寺(別名 なりひら寺)。大原野の峻峰、小塩山の麓にある十輪寺は、平安時代の粋なオヤジ在原業平の別邸だった場所である。夏の初めには紫陽花が咲く坂道の参道の先に、そう広くない境内がある。
本殿と回廊に囲まれて枝垂桜の古木が立っている。樹齢約200年の”なりひら桜”である。母屋の畳で寝転んで桜を見ろとの事なので横になった。眠ってしまいそうだった。
在原業平が活躍した平安時代は天然痘や麻疹(はしか)など多くの疫病があったと伝わる。平安時代は遣唐使で大陸との交易が盛んになった時代である。その事と疫病の蔓延は無関係ではないらしい。人の往来が疫病を運ぶ。それは今も昔も同じだ。
今現在、世の中はコロナウイルスが猛威を振るっている。どうやら京都にも緊急事態宣言が布かれそうだ。近畿の中心である大阪、神戸、京都の三都は、なす術もなくコロナウイルスの顎にくわえられてしまった。ブログ更新をほったらかしていた大原野の自転車オヤジが、またまた無責任は承知で雑感を述べる。
“十輪寺のなりひら桜とコロナウイルス” の続きを読む