ギラギラの太陽と75年の節目の夏

ギラギラの太陽に焼かれる日々である。凶暴に発達した太平洋高気圧に包囲された日本列島は茹で蛸のように赤い。暖められた空気が上昇気流を造り、絵に描いた様な積乱雲が出現する8月の空である。コロナ禍に加えて連日の酷暑で朦朧とするオヤジだが、川の水で頭を冷やして雑感を記す。

京都五山の送り火が終われば京都の暑さも峠という事らしいが、そうなるように期待したい。その「大文字」の送り火は、今年に限っては六ヶ所だけが点灯した。松明も密集しないようソーシャルディスタンスという訳だ。お盆の夜空に浮かび上がったのは、ちょっと薄暗いコロナバージョン大文字だった。

テレビの報道番組を観るが、PCR検査をするの、しないの、どうするの、未だにやっている。どこまで行っても着地点は無い。もうウンザリである。ひとつ言える事は、「検査する 隔離する」という基本動作を最初から怠った付けまわしが今来ている。この国の感染対策は、他のアジア諸国と比べても、最低のデキだという事だ。

しかも政府の対策があまりに酷い、アベノマスクにGotoキャンペーン、どんなに批判されようが、利権をせしめる事は決して止めない。感染者が増えようが、死人が出ようが、お構いなし。為政者たちは「我田引水」に明け暮れている。デタラメな大本営発表のもと破滅へと突き進んだあの時代を彷彿させる。

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ステイホームと#検察庁法改正法案に抗議します

ステイホーム週間となったゴールデンウィークは、比較的いい天気だった。近所を散歩したり、自転車漕いだり、料理をしたり、家飲みしたり、そんな具合の休日だった。そして明けるハズだった”緊急事態期間”は延長となった。アジア諸国の大方は、危機を脱したようだが、この国は未だコロナウイルスの歯牙に捕まったままである。今回も無責任は承知で、湧き起る雑感をしたためる。

 

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十輪寺のなりひら桜とコロナウイルス

コロナウイルスの影がひたひたと忍び寄る3月最後の土曜日のこと。地元の桜を観ようと、家人を連れて散歩した。訪れたのは十輪寺(別名 なりひら寺)。大原野の峻峰、小塩山の麓にある十輪寺は、平安時代の粋なオヤジ在原業平の別邸だった場所である。夏の初めには紫陽花が咲く坂道の参道の先に、そう広くない境内がある。

本殿と回廊に囲まれて枝垂桜の古木が立っている。樹齢約200年の”なりひら桜”である。母屋の畳で寝転んで桜を見ろとの事なので横になった。眠ってしまいそうだった。

在原業平が活躍した平安時代は天然痘や麻疹(はしか)など多くの疫病があったと伝わる。平安時代は遣唐使で大陸との交易が盛んになった時代である。その事と疫病の蔓延は無関係ではないらしい。人の往来が疫病を運ぶ。それは今も昔も同じだ。

今現在、世の中はコロナウイルスが猛威を振るっている。どうやら京都にも緊急事態宣言が布かれそうだ。近畿の中心である大阪、神戸、京都の三都は、なす術もなくコロナウイルスの顎にくわえられてしまった。ブログ更新をほったらかしていた大原野の自転車オヤジが、またまた無責任は承知で雑感を述べる。
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