女優と彼岸花

季節の変わり目である。朝晩は冷え込むようになってきた。暑かったり、寒かったり。寝る時に何を被ればいいのか。やっと最近、寝間着を短パンから長いスウェットに変えた。

西山の麓、大原野の田園では、稲穂が実りの頭を垂れている。それを乾いた風がユサユサと揺らす。空を見上げれば、並んだイワシ雲が秋の到来を告げていた。

秋ともなれば、オヤジは辺りを放浪する。駆るは、四季の変化を股間の筋肉と鼻の粘膜から感じさせてくれるという自転車である。西山山麓は坂道が多いから、時速は20キロかそれ以下だ。そんな速度に夢中である。肺に酸素を取り込み、ペダルを踏んで観る景色はもう麻薬だ。

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長雨と彼岸花

1610trekcosmos牛車のようにノロマな台風のおかげで、9月は雨ばかりだった。雨が多い時節とは言え、これでもかと降り倒した感がある。

お尋ね者の太陽が現れた10月の初旬、身支度を整えて家を出た。跨るのは、オヤジ世代の喜びも、悲しみも、おなかのゼイ肉も、すべてを乗せて放浪へといざなってくれる例のアレである。

大原野のそこかしこでも彼岸花が咲く季節だ。実りの季節を迎えて、褐色に変わりつつある田圃の畔に彩を添える。その名の通り、お彼岸の頃に咲く彼岸花は、故人を連想させる。

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オータムテキストと満月モール

神無月。手品のように咲いた彼岸花は、田圃のあぜに散った。代わって、街道の路肩を飾ったコスモスだったが、それももう終わりだ。日ごとに冷める空気が山里の景色に明暗を与えている。忍び寄る秋の仕業は、研ぎ澄まされた刃物のように、膨張した万物から熱を奪い、余分を剥ぎ取り、本質をさらそうとする。銀輪に反射する弱い光が、つるべ落としの夕闇に銜えられて一日が終わる。容赦のない修練の後に残った物、それが分け前だ。

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