中学のバスケット部のキャプテンだったMとは、浅からぬ縁がある。小学校らか大学まで同じ学校に通った。大学は学部まで一緒。バイトも一緒にした。同じ空気を吸って大人になった。そんな間柄の我々は、音信が途絶えた時期もあったが、よわい50代半ばに達した今も、着かず離れずの関係でいる。
その友と待ち合わせたのは、京都伏見の中書島である。なんだか得体の知れない『令和』という時代が迫る今にあって、昭和の匂いがする町である。我々は、数年に一度、中書島で飲むのが恒例のようになっている。
中書島は町と川が融合した場所である。戦国時代の末期、伏見の城下に、宇治川の流れを引き込み、水路を築いたのは、豊臣秀吉である。天下人が、治水こそが国家運営とばかり、伏見の地に創ったのは、人や物資が行き交う内陸の港湾都市だった。そこには当然のように遊女たちも集まった。それから400年、中世、近代、戦後の売春防止法まで、中書島の色町としての歴史は長い。一時期は、吉原、島原を凌ぐ歓楽街だったという。いろいろな意味で、魅力的で由緒正しい土地である。