3月の終わり、例年より少し早く、背割り堤の桜は満開を迎えた。青空に薄いピンクのソメイヨシノが映えている。私は毎年のように、この桜を観ている。その桜並木を家人と歩いた。家人が言った。
「あと何回桜を観れるかな」
なんでも先ごろ聴いた竹内まりやの曲の中に、同じ問い掛けがあったという。確か「デニム」というアルバムに、そんな歌があった。調べると「人生の扉」という歌だった。私も歌の詩に共感を覚えながら桜を眺めた。そして、桜が散ってしばらくすると、私たちは一つずつ年を取る。
3月の終わり、例年より少し早く、背割り堤の桜は満開を迎えた。青空に薄いピンクのソメイヨシノが映えている。私は毎年のように、この桜を観ている。その桜並木を家人と歩いた。家人が言った。
「あと何回桜を観れるかな」
なんでも先ごろ聴いた竹内まりやの曲の中に、同じ問い掛けがあったという。確か「デニム」というアルバムに、そんな歌があった。調べると「人生の扉」という歌だった。私も歌の詩に共感を覚えながら桜を眺めた。そして、桜が散ってしばらくすると、私たちは一つずつ年を取る。
川岸に咲き揃う桜は見事だ。ボヤっと生きているオヤジがハッとする景色がそこにある。季節とか、花とか、そんな事に無頓着な人にも、桜の開花は天啓をくれる。にわかに湧き上がる高揚感は、四季のある国に生まれた証だろう。
天気が良いので、自転車に乗った。西山々麓の丹波街道を西へ走って大山崎に至る。高台から望む背割堤はすっかり緑色に変わっていた。
島本側から柳谷を上った。長岡側からと比べると勾配はおとなしいが、そのぶん長い。山頂から奥海印寺までの下り道には、処々に専門店が並んでいる。筍のお店だ。並んでいるのは、今そこで掘ったばかりの”朝掘り筍”である。大きなものぼど値段は高いが、一盛500円から買える。500円だと侮ってはいけない。乙訓の筍は、高級料亭にでも行けば、価値は数十倍になるブランド品だ。
家人から、筍を買って来いとの要望だったので、一盛買った。サドルバックには秘密兵器のナップサックを忍ばせていた。筍を背負って、竹林を下った。私の重たい身体はぐんぐん加速した。ひときわ緑が濃くなった竹林の空気は本当に心地良かった。
背割堤の桜はもう散り始めていた。枝からは新葉が覗いている。桜は本当にアッちゅう間だ。
山城大橋を渡って、宇治田原へ。禅定寺、猿丸神社に至る旧道を選んだ。満開の桜が集落の川筋を彩っている。景色も道も抜群。ぼちぼち昼時だった。
ほんで宇治田原の名店、田中製麺所へ。食べたのは、釜たま小&ぶっかけ小&海老天。旨い。
上り下りをこなして、桜咲く曽束集落に至る。集落を流れる曽束川は天ケ瀬ダムの支流にあたる。堤の桜もええ感じ。有名行楽地の桜より、こうゆう桜の方が好きだ。どう見ても素敵だ。山里の桜が目に沁みた。
満員のお花見列車から吐き出された人並みは延々と続いていた。。兎に角すごい人だった。渡月橋はたわんでいた。自転車はとてもじゃないが漕げない。余りの人にメンバーから笑いが洩れた。ったく嵐山という行楽地は、秋も秋なら春も春だ。ここまで来るともうストレスチックですらある。桜は美しいのか。
朝。御幸橋の背割堤に集まったのは、僕を含めて5人。なんと東京支部長の姿もあった。みんな燻し銀の男前自転車乗りだ。午前9時の背割堤はもうすでに結構な人出で、ビールやら、食材やら、荷物を手にした人々が橋を行き交っていた。知り合いである鶴橋の女黒魔術師による”晴れ乞い”が効いたのか、天気は抜群だった。
御幸橋から西山連邦に沿うように大山崎、長岡、洛西と走った。目指すは嵐山だ。混み合う自転車道を避けた格好だ。麓の至る所で桜が綺麗だった。山崎聖天の展望台からは背割堤の桜色の帯が見えた。
昼食後、広沢池、北山通りを経て賀茂川へ至る。ここも桜は満開。暖かい河川敷は人で溢れていた。しばらく散策して、仕事の為に離脱。最後までご一緒してもらった、hiro巡業部長とnekono東京支部長に別れを告げた。何や缶やと方々の桜を観て、楽しい時間を過ごした。自転車仲間に感謝。